東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判

平成16年(ワ)第24332号解雇無効確認等請求事件

平成20年4月22日判決言渡
判決文


   目  次
   主文                            ・・・・・ P1
   事実及び理由                      
      第1 請求                      ・・・・・ P2
      第2 事案の概要
           1 前提となる事実           ・・・・・ P2〜9
           2 争点                  ・・・・・ P9
           3 争点に関する当事者の主張    ・・・・・ P9〜14
      第3 当裁判所の判断 
           1 事実の認定             ・・・・・ P14〜50
           2 争点に対する判断        ・・・・・ P50〜62
           3 結語                   ・・・・・ P62
   別紙1〜別紙6                     ・・・・・ P63〜88 (省略)

    判決にあたる部分は 「争点に対する判断」P50〜62です。
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平成20年4月22日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 飯田誉啓
平成16年(ワ)第24332号 解雇無効確認等請求事件
口頭弁論終結の日 平成19年12月17日

           判            決

埼玉県深谷市●●
    原          告    重  光  由  美
    訴訟代理人弁護士     川  人      博
    同               山  下  敏  雅
    訴訟復代理人弁護士   原      宏  之

東京都港区芝浦1丁目1番1号
    被         告    株 式 会 杜 東 芝
    代表者代表執行役    岡  村      正
    訴訟代理人弁護士    山  西  克  彦
    同               伊  藤  昌  毅
    同               峰      隆  之
    同               平  野      剛

       主        文
1 原告が,被告に対し,雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2 被告は,原告に対し,平成16年10月から本判決確定の日まで,毎月25日限り月額47万3831円の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告に対し,835万1382円及びこれに対する平成16年12月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 原告のその余の請求を棄却する。
5 訴訟費用はこれを5分し,その1を原告の負担とし,その余を被
告の負担とする。
6 この判決は,第2項及び第3項に限り,仮に執行することができる。



           事 実 及 び 理 由
第1 請求
1 主文第1項及び第2項と同旨
2 被告は,原告に対し,2224万2373円及びこれに対する平成16年12月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,従業員である原告が,使用者である被告に対し,平成16年9月9日付け解雇(以下「本件解雇」という。) は原告が業務上の疾病に罹患して休業していたにもかかわらずされたものであって違法無効であるとして,雇用契約に基づき,雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認及び本件解雇後の平成16年10月から本判決確定の日までの賃金(月額47万3831円)の支払のほか,安全配慮義務を怠って前記疾病に罹患したものであるとして,債務不履行又は不法行為に基づき,慰謝料等合計2224万2373円(弁護士費用169万0991円を含む。)及びこれに対する安全配慮義務違反行為の後で訴状送達の日である平成16年12月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。



1 前提となる事実(認定に用いた証拠を末尾に示した。証拠の記載のない部分は当事者間に争いがない)。
(1)当事者
ア 原告
原告は,昭和41年4月28日生まれの女性である。
イ被告
(ア) 被告は,電気機械器具製造等を業とする株式会杜であり,本杜は東京都港区芝浦に所在し,神奈川県横浜市に生産技術研究所(以下「生産技術研究所」という。),兵庫県姫路市と埼玉県深谷市に工場(以下,それぞれ「姫路工場」,「深谷工場」という。)を有している。
(イ) 深谷工場には,平成11年4月から量産稼働している液晶ディスプレイ製造ライン(以下「M1ライン」という。〕と平成13年9月から量産稼働している液晶ディスプレイ製造ライン(以下「M2ライン」という。)がある。
(甲98,乙12〕
(ウ) 被告内には,被告の従業員で組織される労働組合である東芝労働組合(以下「東芝労組」という。)がある。
(乙8,弁論の全趣旨)
(2) 被告の就業規則等
 深谷工場における平成13年4月1日付け就業規則(以下「被告の就業規則」という。)等では,就労時聞,休暇,従業員が傷病により長期に欠勤する場合の取扱を,以下のとおり定めている。
(甲105,乙2の2,乙3の1,乙9,11)
ア 就労時問
(ア) 被告の正規勤務(普通勤務,交替勤務)における就業時間は1日7時間45分,休憩時聞は1時聞とされている(40条2項)。
 被告の深谷工場における普通勤務は,始業時刻は午前8時,終業時刻は午後4時45分とされている(43条)。
(イ) 被告の休日は,土曜日,日曜日,年末年始(12月31日から1月3日まで),法定休日,メーデー(5月1日).特別休日2日,法定休日が土曜日である場合の前日(45条)であるほか.会杜記念日の7月1日の半日を休業としている(47条)。被告は,業務上の必要があるときは,従業員に対し,休日に勤務させることができる(時間外勤務と扱う)が,原則として1週間以内の他の日に振り替えて,当日通常の勤務をさせる(この場合は時間外勤務として扱わない)こともできる(56条,46条)。
(ウ) 被告は,業務上必要あるときは,所定労働時間を超えて,15分を単位として時間外勤務をさせることができる(50条,60条)。その場合の休憩時聞は,時閻外勤務の実働時聞が8時間までであれば1時間,8時間を超え12時間までであれば1時間ないし2時間,12時閻を超えるときは2時間ないし3時間とされている(55条)。
 また,被告(深谷工場長)と東芝労組の深谷支部との時聞外労働等に関する協定(有効期限が平成12年4月1日から平成13年3月三一日までのもの。乙3の1)では,「開発」の業務に携わっている労働者について,3か月120時問,1年聞360時聞までの時間外労働が可能であるが,例外として,「納期の切迫により生産が問に合わない場合,又はトラブルが発生しその対応が必要な場合等,特別な事情がある場合は,労使の協議を経て1か月80時聞,3か月で240時間,1年間で720時問まで延長することが出来るものとする」と定められていた
(以下「特別延長規定」という。)。
(エ) 被告は,必要があるときは午前11時から午後1時45分をコアタイムとし,始業時刻を午前6時から午前11時まで,終業時刻を午後1時45分から午後9時15分までの間で選択できるフレックスタイム制就業をさせることがある(40条の2)。
 被告と東芝労組が合意した「フレックスタイム制実施基準」(乙9)によれば,フレックスタイム制就業をする従業員については,その給与計算締切期間(以下「清算期間」という。〕ごとに労働時問の清算を行い,以下の計算式で算定される期間内の所定労働時間と当該期間内の実労働時間とを比較し,所定労働時間を上回る実労働時間を超過時間(時間外勤務時間)と扱うほか,休日勤務を時間外勤務と扱い,休憩時間については、1日の労働時間が6時間以上8時間までの場合は45分以上,8時聞を超える場合は1時間以上取得させることとされている。
所定労働時間=標準就業時間(普通勤務の就労時間)における1日の労働時間
        ×清算期間における所定労働日数

イ 年次有給休暇
 勤続1年以上の従業員は,1年度(4月1日から翌年3月31日までをいう。)において,前年度の出勤状況により,最大24日の有給休暇を取得することができる(80条1項,79条)。また,やむを得ない事由により前年度の年次有給休暇を全日取得できなかった場合には,翌年度に限り繰り越すことが認められている(83条)。
ウ 従業員が業務上の傷病により欠勤した場合の解雇制限
 業務上の事由による傷病により就業できない期間及びその後30日問は解雇しない(27条本文)。ただし,別に定める打切補償金を支給する場合等はその限りでない(同条ただし書き)。
工 従業員が業務外の傷病により長期に欠勤する場合の取扱
(ア) 欠勤
休職発令以前に,欠勤開始からの一定の期間を「欠勤期間」として定め,この期間を超えて欠勤した者は休職を命じられるところ、この期間は勤続に応じて定められており,10年以上20年未満の者については最長15か月とされている(19条)。
 なお,欠勤するときは,あらかじめその事由と予定日数を届け出て被告の承認を受けなければならず(68条1項).傷病欠勤が引き続き1週間以上に及ぶときは,前項の届出に医師の診断書を添えなければならない(68条2項)。
 また,傷病欠勤が引き続き1か月以上にわたった者が出杜するときは,被告に所属する医師(産業医)の診断により,出杜しても差し支えないと認めたときに限って出杜させる(68条3項)。
(イ) 休職
 業務外の傷病により欠勤をしている者が「欠勤期間」を超えて欠勤するときは,休職を命ずる(18条(1))。
 休職期間は勤続に応じて一定の期間とされ,10年以上20年未満の者については最長20か月とされている(20条〕。なお,事清により延長されることがある(22条)。
(ウ) 休職期間満了後の解雇
 業務外の傷病により休職を命ぜられた者については,その休職期間が満了したときは解雇される(26条(4)〕。
 なお,被告と東芝労組との間で交わされた平成12年4月21日付け労働協約了解書(1)(乙11)には,「業務外の傷病による長期欠勤者又は休職者が,出勤開始後又は復職後6か月以内に同一傷病により連続欠勤を開始し.又はしばしば欠勤したときは,その欠勤期問を出勤開始前の欠勤期間又は休職期間に通算する。」との定め(以下「通算条項」という。)がある。
(工) 復職
 業務外の傷病により休職を命ぜられた者につき休職期間中において休職事由が消滅し継続的な就業が可能であると認められたときは,復職を命ずる(23条1項)。
(3) 雇用契約
ア 原告は,平成2年3月に中央大学理工学部物理学科を卒業後,同年4月に被告に雇用された。
 同雇用契約は,期問の定めがなく,賃金については月末締め翌月25日払いと定められている。
 また、原告の前記雇用契約に基づく賃金額(年収〕は,平成12年当時,568万5983円であった。
(甲6,76,78の1.99,157)
イ 原告は,入社後,被告の生産技術研究所に配属されたが,その後,平成6年10月に姫路工場の液晶事業部に配属された後,平成10年1月に深谷工場へ転勤となり,同工場の液晶生産技術部アレイ生産技術第二担当に配属となった。
 原告の平成12年から平成14年当時の上長(上司)は,F(以下「F課長」という。)であった。
(甲76,78の1,99,157,乙12)
ウ 原告は,平成13年4月1日,組織改正により.深谷工場技術部アレイ技術担当の所属になった。
工 原告は,遅くとも平成12年10月以降.被告の就業規則で定めるフレックスタイム制の適用を受けていたほか,特別延長規定が適用されていた。
(証人F・26頁)

(4) 本件解雇に至る経緯
ア 被告は,深谷工場において,平成12年10月ころから「M2ライン立上げプロジェクト」を始動させ,平成13年9月には同ラインにおける液晶生産を量産稼働させるに至った。
 原告は,M1ラインの立上げに携わった後,M2ライン立上げプロジェクトにも携わった。
(甲78の1,99,106,157〕
イ 原告は,平成13年5月23日(水曜日)に取得を予定していた有総休暇を取得した後,翌24日から同年6月1日までの間,7日欠勤し,同月4日(月曜日)に出勤するまで,連続12日聞(うち土曜日2日,日曜日2日を含む。),深谷工場において就労しなかった。
ウ 原告は,同年9月4日から同月30日までの間,所定休日以外日には有給休暇を取得して,勤務に就かなかった。
 その後,原告は,平成13年10月9日,H神経科クリニックS医師作成にかかる診断書(病名 抑うつ状態)を被告に提出した上,欠勤を開始した。
 被告は,原告の欠勤期聞が上記就業規則19条に定める期間(原告の場合は勤続11年のため15か月)を超えた平成15年1月10日,原告に対し,同日付けで休職を発令した。
(甲85の1及び2,弁論の全趣旨。一部当事者間に争いがない。)
工 原告は,前記ウの欠勤以降(本件口頭弁論終結時に至るまで),平成14年5月13日を除き,職場復帰しなかった。
 そこで,被告は,平成16年8月6日,原告に対し,同日付けで、通算条項を考慮した所定の休職期間満了を理由とする解雇予告を行った上,同年9月9日付けで本件解雇をした。
(甲2)

(5) 休職期間中の給付
ア 原告は,平成13年10月に休職を発令されて以降,被告から,賃金の支払を受けていない。
イ 原告は,平成13年9月に有給休暇を取得して以降,被告の健康保険組合から傷病手当金,傷病手当附加金及び延長傷病附加金の支給を受けた。
 同健康保険組合からの給付は,療養のため就業出来ない場合,欠勤4日目から1年6か月間,傷病手当金及び傷病手当附加金として1日に付き,標準報酬日額の合計80パーセントが支給され,さらに,延長傷病手当附加金がその後6か月間80パーセント,次の6か月間60パーセント,さらに次の6か月間は40パーセントが支給されることとされている。
(甲105。一部当事者問に争いがない。)

(6) 原告の支出した治療費等
 原告は,うつ病に罹患したための治療費として,別紙1のとおり,合計17万3500円を支払った。
 また,原告は、被告に提出する等の必要から,診断書作成料として,合計
5万6200円を支払った。
(甲7の1ないし63,8の1ないし11,192の1ないし72,193
の1ないし4)
(7) 労災申請
 原告は,平成16年9月8日,熊谷労働基準監督署長に対し,うつ病が業務上の傷病であるとして,休業補償給付支給請求及び療養補償給付たる療養の費用請求をしたところ,同監督署長は,平成18年1月23日,原告に対し,うつ病が業務上の事由によるものであるとは認められないことを理由として,前記給付を支給しない旨処分をした。
 そこで,原告は,同処分を不服として,埼玉労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求を申し立てたところ,同審査官は,同年12月23日,原告に対し,うつ病が業務に起因することが明らかな疾病ではないことを理由として審査請求を棄却する旨の決定をした。
(甲3の1及び2,4の1及び2,134)



2 争点
(1) 本件解雇の有効性(原告のうつ病は「業務上の疾病」か)
(2) 被告の債務不履行責任又は不法行為責任の有無(原告がうつ病になり就業できない状態にあることについて,被告に安全配慮義務違反があるか)
(3) 被告が原告に支払うべき賃金及び損害賠償金の額



3 争点に関する当事者の主張(要旨)
(1)争点(1)(本件解雇の有効性(原告のうつ病は「業務上の疾病」か)〕について
(原告の主張)
ア 原告は,深谷工場において「M2ライン立上げプロジェクト」の「アレイドライ工程」リーダーを務めていたところ,平成12年12月ころから長時間深夜残業・休日出勤が運統するようになり,また,翌平成13年1月ころからは多発したトラブルの対応等に追われるなど,業務上の過度の精神的負荷を負った。
 原告は,この精神的負荷を負ったことにより,心身に異常をきたし,同年4月11日に「抑うつ状態」と診断された。
イ 原告には業務以外に精神疾患発症の原因となる事情は一切ない。
ウ したがって,原告が従事していた前記業務と原告の績神疾患発症との間に相当因果関係,すなわち業務起因性のあることは明白であり,現在もなお療養中である以上,労働基準法19条1項(及び就業規則27条)に反し,本件解雇は無効であるというべきであって,原告が現在も労働契約上の権利を有する地位にあることは明らかである。
(被告の主張)
ア 業務の量という側面からみると,M2プロジェクトにおいて,平成12年12月から平成13年4月までの5か月間において一時的に時間外労働時間が増加したものの,週40時聞を超える労働時間は1か月当たり54時間11分(原告作成の甲179によっても70時間)程度であり,過重とまではいえず,さらにプロジェクト終了後は時間外労働時間が減少しており,恒常的な長時間労働であったとはいえない。
 業務の質という側面からみると,装置立上げ期間における装置の条件出し等については,全般的に装置メーカーが主体となって実施するため、原告ら技術者への負担は軽く,決して過重な業務であったとはいえない。
イ 原告の業務以外の心理的負荷に関する情報,個体側脆弱性に関する情報については,会杜の持つ情報,熊谷労働基準監督署の調査のみでは明らかになっていない可能性が十分に考えられる。十分な調査が行えておらず(行うことができない),個体側の脆弱性に未解明な点が多いとしても,それは,業務以外の心埋的負荷,個体側要因がないということを示すものではない。
 とくに,業務による心理的負荷による精神障害は,医学上一般的には6か月から1年程度の治療で治ゆする例が多いとされているところからすると,原告が,最終出勤日である平成13年10月6日以降,今日現在まで6年間以上も会杜業務(原告が主張する病気発症の原因)に一切携わっていないにもかかわらず,現在も治ゆしていないことからしても,原告の病気発症の原因は業務に起因するものではないと考えられる。
ウ したがって,原告に精神疾患があるとしても,それが前記業務による心理的負荷が原因である(業務との相当因果関係がある)とはいえず,「業務外」の疾病にすぎないから,本件解雇が労働基準法19条1項(及び就業規則27条)に反し無効であるということはできない。

(2) 争点(2)(被告の債務不履行責任又は不法行為責任の有無(原告がうつ病になり就業できない状態にあることについて,被告に安全配慮義務違反がある
か))について

(原告の主張)
ア 被告は,コストを削減して営業利益を上げることのみを追求し,原告に対し,以下のとおりの対応をした。原告はこれらの被告の行為により,精神障害を発症・増悪させ,休業を余儀なくされた。
@連日長時問労働及び休日労働を行わせた。
A無理なスケジュールを設定した。
B原告に多大な負担がかかっていたにもかかわらず,人員の配置・補充や業務内容の調整を行わなかった。
C原告に対し適正な相談・アドバイスをせず,むしろ不可能な業務指示を与えるなど心理的負荷を与えた。
D 原告の健康状態を認識していた以上,その症状に応じて業務内容の軽減等の適切な処置をとるべきであったのにそれを怠った。
イ したがって,被告において,原告に対する安全配慮義務違反があるというべきである。

(被告の主張)
ア 原告が,それまで一般的な従業員として業務に従事していることを前提として,M2プロジェクトにおけるドライエッチング工程のリーダーとしたこと,また,被告が原告独自の「ストレス脆弱性」を認識し得ない中で,メンタルヘルスに関する問診を含む定期健康診断を実施した上で,原告からの体調不良の申し出による業務負荷の軽減,被告深谷工場健康管理室における産業医との面談,臨床心理士によるカウンセリングの実施,社外医療機関への受診促進を実施してきたなど十分な配慮を行っている。
 また,平成13年10月以降の欠勤後,被告は原告の職場復婦に向けて努力してきたが,最終的には,原告からの職場復帰の意思はないとの回答があったことから,就業規則に基づき,平成16年9月9日付けで本件解雇に至ったものであり,被告の対応について非難されるべき点はない。
イ したがって,被告において,原告に対する安全配慮義務違反があるとはいえないというべきである。

(3) 争点(3)(被告が原告に支払うべき賃金及び損害賠償金の額〕について
(原告の主張〕
ア 被告の原告に対する本件解雇は無効であるから、原告は被告に対し将来分についても賃金支払請求権を有している。
 その(平均)賃金額は,原告が精神蔭害を発症する以前の平成12年の年収額が568万5983円であることを踏まえ,月額47万3831円とすべきである。
イ 被告の本件解雇及び安全配慮義務違反ないし注意義務違反の結果,原告の受けた損害は、以下の(ア)ないし(カ)のとおりであり,合計2224万2373円である。
(ア) 治療費
 前記1(6)のとおり,合計17万3500円である。
(イ) 診断書作成料
 前記1(6)のとおり,合計5万6200円である。
(ウ) 交通費
 原告は,以下の期間に,山口県S市の実家で療養し,交通費合計20万4300円を支払った。
@平成13年9月8日〜9月27日
A同年10月7日〜10月19日
B同年10月27日〜11月16日
C同年12月1日〜12月14日
D同年12月27日〜平成14年1月11日
4万0860円(往復)×5往復=20万4300円
(工) 賃金・傷病手当差額分
 原告は,被告における業務に起因した本件精神障害を発症しなければ,同障害を発症する以前の平成12年の年収額(568万5983円)と同額の賃金を得られたはずであるが,被告から支払いはない。
 一方,被告においては,前記1(5)イのとおり,原告に対し,被告の健康保険組合より,一定の傷病手当金等が支給された。
 したがって,原告は,被告に対し,以下のとおり,平成13年9月分より平成16年8月分まで,合計511万7382円の賃金請求権ないし損害賠償請求権を有している。
@平成13年9月〜平成15年2月分
 568万5983円x(100−80)×1.5年
                      =170万5794円
A平成15年3月〜平成15年8月分
 568万5983円x(100−80)×O.5年
                      =56万8598円
B平成15年9月〜平成16年2月分
 568万5983円×(100−60)×0.5年
                      =113万7196円
C平成16年3月〜平成16年8月分
 568万5983円×(100−40)X0.5年
                      =170万5794円

(オ) 慰謝料
 本件解雇及び安金配慮義務違反行為により原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては,1500万円を下るものではない。
(カ) 弁護士費用
 被告において負担すべき弁護士費用としては,少なくとも169万0991円が相当である。

(被告の主張)
 争う。



第3 当裁判所の判断
1 事実の認定
 証拠(甲1,9,10の1ないし4,11,12,13の1ないし10,14,15,16の1及び2,17の1及び2,18ないし20,21の1ないし7,22,23,24ないし27の各1及び2,28ないし46,47の1ないし5,48ないし62,63の1ないし9,64ないし70,71の1ないし7,76,77,78の1ないし3,79,80の1ないし5,81の1ないし9,82の1ないし21、83の1ないし30,84の1ないし5,85ないし97の各1及び2,98ないし110,111の1及び2,112,113の1及び2,114,115の1及び2,116,117ないし119の各1及び2,120ないし125,126の1ないし75,127の1ないし3,128ないし135,136の1ないし8,137ないし166,172ないし189,190の1ないし4,194,195,乙1,4,5,6の1ないし6,7,12ないし23,証人F,同天笠崇,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1) 原告の健康状況等
ア 生活状況
(ア) 原告は,深谷工場近くの深谷市内の被告の寮に単身で居住している。
 原告の家族は,父,母,兄.原告(由美),弟の5人家族で,平成13年当時.兄は結婚し別世帯となり,両親と弟が同居し,山口県S市に在住していた。
(イ) 寮は深谷工場から社バスで10分,自転車で15分,徒歩で30分の場所にある。
(ウ) 就寝時刻は,仕事で遅くなっても,早く終わって帰っていたりしても,おおむね午前1時から午前2時の間である。起床時刻は,仕事がある日の場合には午前8時ころであり,休日の場合は午前12時(午後0時)ころであった。
(エ) 朝食は牛乳一杯,夕食は,平成13年9月に欠勤するまでは,会社の食堂を利用するかコンビニ弁当等で済ませ、自炊は余りしていない。
 飲酒については,毎日ビール1缶を寝つけないときなどに飲むことや,飲み会などがあったときは,ビールをジョッキ5,6杯は飲む。
(オ) 原告は,エアロビクス,スキーを続けて楽しんでいる。
イ 性格
 原告は明るく、さっぱりとした印象を与える人物であり,真面目に仕事に取り組み,上司あるいは同僚から,一緒に仕事をして特段困ると訴えられるようなところはない。
ウ 病歴,既往歴
(ア) 原告は,高校・大学在学時等に耳下腺腫瘍で手術を受けたことがある。
(イ) 平成2年3月13日に実施された入杜時の健康診断では,原告が自覚症状として「疲れやすい」と訴えた。
(ウ) 平成9年の被告での定期健康診断では,体重が前年より1.9キログラム減り,原告が「朝,何となく気分がすぐれない。生理痛がひどい。」と訴えており,経過観察とされた。
 平成10年の被告での定期健康診断では,体重が前より0.6キログラム増え、原告も特段不調を訴えなかった。
 平成11年の被告での定期健康診断では,体重が前年より1.2キログラム減り,原告が「生理痛がひどい」と訴えており,経過観察となった。
 平成12年の被告での定期健康診断では,体重が前年より2.0キログラム増えており,原告が「いつもからだがだるく疲れやすい。いつも首の痛みやひどい肩こりがある。いつも生理痛がひどい,または生理不順である。」と訴えており,経過観察とされた。
(エ) 原告は,平成12年6月,深谷工場の診療所で不眠症と診断され,レンドルミンO.25mg(適応:不眠症)7日分を処方された。
 原告は,同年7月以降,深谷市所在のY医院で慢性頭痛(筋収縮性頭痛〕と診断され,デパス錠O.5mg(適応:筋収縮性頭痛,抑うつ,睡眠障害),セデスG7g(1回1g)(適応:鎮痛剤〕,セルシン錠(2mg)(適応:神経症における抑うつ)各7日分を処方された。
(オ) 原告に精神疾患の既往歴は存しない(甲127の3)。
 また,平成13年当時,原告の家族で精神疾患に罹患した者も,病気療養中の者も存しない(甲103)。

(2) 被告における従業員の勤務状況及び勤務時間管理の方法等
ア AQUAシステム
 原告の所属する部署において,原告を含む従業員らは,当初、出退勤時に磁気カードを専用機に通す形で労働時間を記録していた。その後,平成11年8月より,パソコンヘ従業員が勤務実績として始業・終業時刻や休暇等を入力するシステム(以下「AQUAシステム」という。)へと変更になり,平成12年から平成13年にかけても行われていた(甲9)。
 このシステム下では,以下の手順で勤務時間管理が行われていた。
@ 原告を含む従業員らが毎月の勤務実績(出社時刻,退杜時刻,有給の消化等)を「勤務表」にパソコンで入カする。
A 翌月5日までに,システム画面上の「確定ボタン」を押すことで本人が確認する。
B 上司(原告の場合,F課長であった。)がシステム画面上で確認・確定した上,「勤務表」をプリントアウトし,押印ないし署名をして,課内の庶務担当に提出する。
イ 残業の申請
 原告ら従業員は,あらかじめ当月の第2月曜日に,時閻外労働について,時間数とその埋由を記載して課長(原告の場合,F課長であった。)に申請し,決裁印受領後,庶務担当に提出していた(以下「残業申請」という。)。
 月の残業時間が40時間以内の場合には,残業申請を行う必要はなく.40時間を超える場合に申講が必要であった。60時問を超える残業申請を行う場合には,当該従業員だけでなく,その上司からも理由書を文書として勤労担当に提出することになっていた(甲105・3項)。
 そして,原告ら従業員は,そのあらかじめ申請していた時問外労働時問数を超えて,実際に従事した時間外労働時間数を勤務表に記載していなかったほか,80時間以上働いた旨パソコンに入力すると,何らかの規制が働くようになっていた(原告,甲102,110,122,160)。
ウ 休憩の取り方
 休憩時間については,深谷工場では,規定上、午前12時(午後0時)から1時間,午後6時台に30分間,午後10時台に30分間の休憩時聞が設けられていた。
 このうち,残業時の休憩である午後6時台の30分,午後10時台から30分については,被告(上司)から休憩時聞を確保するような格別の指示はされていなかったこともあり,従業員らは適宜休憩を取ったり,あるいは取らないで勤務を続けたりしていた(甲102,110,160)。
 原告も,午後9時ころまでに帰宅できる日には,午後6時台の休憩時間は取っていなかったし,午後10時台の休憩時間は取っていなかった(甲102,160,原告)。
エ メンタルヘルス諸施策
(ア) 「こころの“ほっとWステーション」(乙21)
 「こころの“ほっとWステーション」は,こころの健康問題を相談できる外部の電話相談窓口として,平成12年4月11日に開設された被告のメンタルヘルス施策の一つである。
 被告並びに関係会社従業員とその家族を対象に,早期の専門的窓口を通して,i)適切なアドバイスによる各種悩みの軽減・解消、ii)ネットワークの専門医療機関への紹介による早期治療,早期回復を目指すための施策として設置されたものであり,事業場内の医療機関ばかりではなく,外部医療機関への受診も配慮した広範囲なメンタルヘルス対策を講じている点と,従業員本人だけでなく,広く家族も対象にメンタルヘルスに関する諸問題の早期発見,早期治療を目指した制度という点に大きな特徴がある。
(イ) 「メンタル不調者の職場復帰プログラム」(乙22)
 「メンタル不調者の職場復帰プログラム」は,従業員の勤務・健康管理に関してきめ細かなフォローを行い,長期欠勤・休職者が円滑に職場復帰できる体制整備を目的として平成15年11月より施行された被告のメンタルヘルス施策の一つであり,メンタルヘルス対策に重要な,二次予防(早期発見等)及び三次予防(再発防止)の徹底を図ることに主眼を置いた職場復帰プログラムである。
 本プログラム施行以前は,長期欠勤又は休職を開始した後の職場復帰については,主治医からの職場復帰可能診断(診断書提出)をもとに産業医との面談(1回)を実施し,産業医から職場復帰可能である旨の診断結果が出た場合に対象従業員を職場復帰させていたが,本施策施行後は,i)主治医からの職場復帰可能診断(診断書提出)をもとに産業医との面談は2回実施するとしたこと、A)対象従業員の同意を得た上ででき得る限り主治医の意見聴取を行い,職場復帰プランを策定するとしたこと,B)職場復帰後も対象従業員へのフォローを行い再発防止に努めるとしたこと,C)メンタル疾患が事由の場合は,従来の1か月ではなく2週間の病欠となった時点で職場復帰面談を義務付けることとしたこと等,従来の取扱に大幅な改善を加えている。

(3)原告の平成12年10月から平成13年4月までの業務等(A業務)
ア M2ライン立上げプロジェクトの概要
(ア)M2ライン立上げプロジェクトとは,合計7台の装置を用いて,ポリシリコン液晶ディスプレイのうち,これに用いるガラス基板のサイズが550mm×670mmであるもの(第3世代)を製造するラインを深谷工場に構築するためのプロジェクトである。
(イ)液晶ディスプレイは,2枚のガラス基板に液晶を挟み込んだ構造を有する。片方のガラス基板にはトランジスタ回路が形成され,もう一方のガラス基板にはカラーフィルターが形成されている。このうち,トランジスタ回路を形成する側の基板をアレイ基板という。
 アレイ基板の製造工程をアレイ工程といい,金属膜や半導体膜,絶縁膜をガラス基板全面に形成して(成膜),設計上の決められた場所にレジストを塗ってマスク(回路)のパターンを転写し(フォトリソグラフィ,PEP工程),そのパターンどおりに膜が残るように削り(エッチング),レジストを剥離するという作業を繰り返して,トランジスタをガラス基板上に作る。
 ガラス基板上に形成された膜を印刷されたマスクのパターンどおりに削る工程をエッチング工程といい,ドライエッチング工程とウェットエッチング工程に大別される。
 ドライエッチング(以下「ドライエッチング」ともいう。)とは,反応性の気体(エッチングガス)やイオン,プラズマに膜をさらすことによって材料を削る(エッチングする)方法のことをいい,反応性イオンエッチング(以下「RIE」という。)もそのひとつである(M2ラインでは,ドライエッチングは全てRIEであった。)。
(ウ) ポリシリコン液晶とは,多結晶シリコン膜でトランジスタが作られているアレイ基板を用いた液晶をいい,従来製造されていたアモルファス液晶(結晶でないシリコン膜によってトランジスタが作られているアレイ基板を用いた液晶をいう。)に比べ,基板上に製造できるトランジスタの性能が約100倍あり,精細度が島く,コンパクトな液晶を安価に製造できるという特質を有する。
 また,ポリシリコン液晶の製造工程が,従来のアモルファス液晶の製造工程とは共通性が低い(あるいは無い)CVD工程(成膜方法の一つ)・ELA工程・ID工程という3つの固有工程があるため,液晶の大型化や高性能化が難しかった。エッチング工程についても,ポリシリコン液晶とアモルファス液晶とは必ずしも同一ではなく.「po1y膜」や「TEOS膜」といったポリシリコン液晶固有の膜があり,取り除く装置の放電方式も,従前のアモルファス液晶の場合と異なり,ポリシリコンでは高密度プラズマを用いる固有の方式であった(甲21の3及び4,172)。
 なお,平成12年当時,被告においては,アモルファス液晶の製造においては既に第4世代のサイズに到達していた(第3世代のサイズについては平成6年に量産稼働していた。)が,ポリシリコン液晶で第3世代のサイズというのは世界最大であった。
(エ) ラインの立上げは,@クリーンルームヘの製造設備搬入,据付,機器連結,機能復元,A安全審査,Bガス出し,Cメーカーのプロセス確認,DCIMテスト(1次,2次,3次),E被告のプロセス確認,FATロット流品(全工程の各担当者による試作品評価),という手順で進められる。
 原告を含む被告の担当者は,@では,設備メーカーの作業を監視し,連絡役を行い,Aでは,設備メーカーが取得したデータに基づいて杜内の安全担当による審査を受け,安全の認定を受けるという作業であり,データ資料作成に携わり,Bでは,連絡調整役を行い,Cでは,設備メーカー担当者が行うプロセス条件出しの作業に対し必要部材の準備と測定の協カを行い,Dでは,設備メーカーとともにテスト作業を行い,E,Fでは,自ら作業を担当する。
 特に,原告を含む被告の技術者の主業務はEである。
 装置の立上げは原告の所属する技術部が行い,その後,装置は製造部へ引き渡される。
(オ) 「プロセス確認」とは,製晶の良品率の改善や生産性を向上させるために,製造装置の運転条件を調整する作業をいい,その作業技術をプロセス技術といい,それを担当する技術者をプロセス技術者という。
 ドライエッチング工程のプロセス技術者は,エッチング装置内のエッチング条件(温度,圧力,エッチングガス濃度,イオン・プラズマの状態等)のパラメータの修正を繰り返しながら,最適な(最も不良率の少ない・生産性の高い)エッチング条件を見出したり,薄膜のエッチング量を変化させるなどして,アレイ基板にとって最適な膜厚を見つけ出すことがその業務となる。具体的には,ドライエッチングの実験後,サンプルを構内分析業者に渡して2,3日後に顕微鏡写真を受け取り,その写真からエッチング加工した形状(削った角度や厚さ)を確認し,プロセスの良否を判断する。その際,プロセス条件決めに液晶ディスプレイとしての製品評価は必須ではない。ただし,M2ラインでは,TEOS削量の評価など洗学式膜圧測定器(エリプソ)でなければ測定できないデータもあった。
 これに対し,成膜や膜改質など他の工程のプロセス技術者は,液晶ディスプレイとしての製品特性への影響がポイントとなるため,液晶ディスプレイを完成させ,さらに,その画面表示特性の長期変動を調べる必要があるため,プロセス変更の効果を判断するのに1回当たり1か月以上の期間を要する。
(カ) 深谷工場では,M2ライン立上げプロジェクトに先行して,平成11年4月からM1ライン(ボリシリコン液晶ディスプレイのうち,これに用いるガラス基板のサイズが400mm×500mmであるもの(第2.5世代)を製造するライン)が量産稼働していた。
 M1ラインとM2ラインとでは,製造ラインのコンセプト(液晶ディスプレイに用いるアレイ基板に関する製造方法や,その製造に用いる設備,装置等)については,CVD工程以外ではほぼ同一であったが,用いるガラス基板のサイズがM2ラインのほうがM1ラインよりもひと回り大きいことから,ドライエッチング工程での装置は新規のものが導入された。具体的には,高周波の導入口である誘導体天板(アルミナと石英でできている。)が,強度との関係上,M1ラインの一体型とは異なり,4分割され,間に金属のハリがある構造のもの(甲133)が初めて導入された。
イ 原告がM2ライン立上げプロジェクトヘ参加するようになった経緯等
(ア) 原告は,被告の生産技術研究所に在籍した当時から,もっぱらドライエッチングの業務に携わっていた。
 また,原告は,平成6年に,被告において,第3世代のアモルファス液晶の製造ライン立上げを実施した際にも参加していた。
(イ) 原告は,深谷工場に転籍した後,平成10年10月から始められたM1ライン立上げプロジェクトにも携わったが,その際はドライエッチング担当ではなかった(スルー担当)。
 M1ラインは7台の装置により月産2万枚の液晶ディスプレイを生産する規模を有し,その立上げ計画では,平成10年10月から平成11年11月までの1年1か月間が立上げ期間とされ(実際には予定より早く開始された。),第1期(5台〕が平成10年10月中旬から平成11年2月末まで(4.5か月),第2期(2台)が平成11年7月初旬から同年11月中旬まで(3.5か月)とされ,試作品流品開始からプロセス確認までは平成10年12月6日から約1か月程度確保されていた(甲173)。
(ウ) 原告は,M1ラインの立上げ後には再びドライエッチングの業務を担当することになり,平成12年4月にM2ライン準備プロジェクトが発足した際には,アレイサブグループの一員としてのドライエッチング担当となった。
 被告は,M2ラインがM1ラインより大きい月産2万5000枚程度の生産規模を有するものであったところ,「人を集中させて」,「短期で成功する」ことを目指し(いわゆる「垂直立上げ」),第1期(3台,1台当たり13ロットが処理できるもの)は平成12年11月初旬から平成13年4月末まで,第2期(4台,1台当たり10ロットが処埋できるもの)は平成13年2月初旬から同年4月までとして,全期間約6か月聞と計画し,しかも,先行している第1期の立上げを行いながら,並行して第2期の立上げも行うというスケジュールで,平成13年3月末時点で1台ずつ順次,技術部から製造部へ移管させるという方針を採った(甲107)。
 M2ライン準備プロジェクトにおいて,原告が作成した平成12年6月20日付け「MoW−RIE工程 立上げ計画書」(甲19)では,ドライエッチング工程立上げについては,先行装置3台が5か月(第1期),後続4台も5か月(第2期)という立上げ期聞を設定し,同年12月初めに装置の「搬入」,同月後半に「プロセス開始」,平成13年1月10日に「流晶プロセスfix」,「スルー流通開始」,同年2月中旬に「ATロット」製造開始と予定されていた(M2ラインRIE事前デモ評価スケジュール)。
 なお,「MoW」とはガラス基板上に張る膜の材料であるモリブデン・タングステン合金の略称であり,「MoW−RIE工程」とは,この金属膜のドライエッチング工程のことである。
(エ) さらに,被告(F課長)は,平成12年8月下旬のアレイサブグループ定例会議(原告もメンバーに含まれていた。)及び同年10月12日に行われた原告を含む技術部員全員を対象とする説明会の場で、量産開始の日を早めて,製品のリスク投入(失敗する可能性も十分に考えられるけれど,成功すれば利益につながる投入であるということを意昧する。)を行う方針を告げた(甲18,20,乙13)。これは,平成13年1月10日の「スルー流品」のための仮のプロセス条件の完成度が高ければ,1回の試験流品で修正を行い、同年1月23日からの試験流品について製造工程の承認を得ることも十分可能との判断からであった。
 また、被告は,同年10月26日に行われたM2アレイミーティング(原告も出席していた。)において,製品立上げスケジュールに関し,平成13年1月10日に最初のロットについてスルー投入開始,同月16日にAT投入,同月23日に生産投入開始と提案していた(乙14)。
ウ M2ライン立上げプロジェクト発足後,平成12年12月までの経緯
(ア) M2ライン立上げプロジェクトは,遅くとも平成12年11月ころには発足した。
 原告は,同プロジェクトにおいて,アレイサブグループの中のPEP・加工工程プロジェクトに属するドライエッチング工程プロジェクトのリーダーとなった。なお,ドライエッチング工程の技術担当者は原告,T及びUの3人であった(後に平成13年5月,Uが担当から外れた。)。
 リーダーは,一般の従業員と異なり,リーダー会議や歩留対策会議への出席と担当工程の進捗管埋を行うことに携わることなるが(甲102,106,110,160,乙5),原告がラインの立上げのリーダーになるのは,初めてのことであった(甲99,157,原告)。
(イ) 原告を含む事前準備プロジェクトの各工程の担当者は,同年9月から,設備メーカーにおいて,事前デモ機の事前評価を始めていた(被告では,複数の工程の装置メーカーを渡り歩いて試作評価することを「ランダムウォーク」と呼んでいた。)。
 この事前評価の結果を踏まえたものとして,同年11月22日には,M1ラインの装置についてもM2ライン導入予定の装置と同様の形状へ改造することの設備投資に関するデザインレビュー(甲172)が提案された。また,翌23日には,原告が「装置は既にメーカーにおいてランダムウォークを行っているので,装置導入後事前検証の再現性を確認できさえすれば,プロセスを開始されてから流品開始までの期間は,10日間で可能である」旨の計画を記載した資料(甲138)を作成している。
 そして,被告も,平成12年12月時点で,M2ラインの立上げ計画を変更し,前記イ(エ)の方針どおり,第1期の「流品開始」を平成13年1月10日,「量産開始」を同月23日に早めた(甲18)。
(ウ) 深谷工場では,平成12年12月に,M2ライン用の新規の装置が搬入され,立上げ計画の各手順が着手された。
 そして,原告の担当したドライ工程では,同月下旬ころ,トラブルが発生した。
(エ) 原告を含む被告の担当者は,設備メーカーの担当者が午前9時から午後9時まで社内にいることから,メーカー担当者の出社前に出勤し,メーカー担当者よりも早く帰るということはなかった。
 また,被告では,M2ライン立上げプロジェクトの計画において,平成12年12月から平成13年4月までの問は,担当者が土曜日・日曜日の出勤もあることを予定したスケジュールが組まれていた(甲I7の1)。また,ドライエッチング工程の技術者(原告を含め3名)の間では,土曜日・日曜日の出勤については,週ごとに,2名が出勤し,1名が休むという交替制をとっていた。そして休日に出勤した際には,平日と同じく,午後11時を過ぎて勤務することもあった。
 原告は,出社時刻の50分前ころである午前7時から午前8時の間に起床し,午前8時ないし9時前ころに出勤し(甲99,157),一方,帰宅が午後11時を過ぎることも増え,自宅と職場の往復に利用していた社バスを利用できず(社バスの最終出発時刻は午後11時10分であった。),タクシーや自家用車を使って帰宅したり,歩いて帰宅することもあった(甲99,157,原告)。
(オ) 原告は,被告の「こころの“ほっとWステーション」へ電語相談をし,それを契機として,平成12年12月13日,深谷市●所在のH神経科クリニックを受診した(甲112,原告)。このときの原告の主訴は,頭痛,不眠(寝付きが悪く.朝早く目が醒める),仕箏の途中で車酔いしたような感じが出たりするというものであった。
 同クリニックの担当医は,原告の症状を神経症と診断し,デパス(0.5)(適応:筋収縮牲頭痛,抑うつ,睡眠障害)を処方した(1x5×14T)
エ 平成13年1月及び同年2月の経緯
(ア) 被告は,遅くとも平成13年1月9日に開かれたM2アレイサブグループ定例ミーティングの時点までには,M2ライン立上げのスケジュールについて,「先行確認ロット投入・1/10」,「P−DATロット投入・1/17」(「P−DATロット投入」は,ATロット投入と同じ意味である。),「量産開始・1/23」であることが確認されていた(甲21の1及び2,原告)。
 これは,試作品の検証期問を1週閲に短縮するものであった。
(イ) 原告の担当したドライ工程では,平成13年1月,エリプソ等の装置が正常に作動せず評価が(一時的に)不能となったり,流品が開始された後にパターン異常等のトラブルが発生した。また,成膜段階でのトラブル(CVD工程に関わる技術的課題であった「信頼性改善」問題である。)により基板サンプルの供給が遅れたため,原告の担当するドライエッチング工程での検証(プロセス確認等)も遅れ,予定の検証期問に全ての検証作業を完了できないという事態になった。
 さらに,同年2月初旬には,設備自体に石英天板割れ不良,A1Fパーティクル発生不良(これらはいずれも新規の装置の天板に金属のハリがあることが原因である。)が発生し,その対策を講じるのに時間を要した(甲24)。また,同月中旬ころには,製造される製品自体にもトラブルが発生し(甲25の1「MoWシート抵抗のアッシング条件依存」),その対応にも追われた(甲30)。
(ウ) 平成13年2月には,ドライエッチング工程だけでなく成膜等様々な工程でトラブルが発生したことを受け,少なくとも同月1日(午前10時から午後3時まで),同月2日,同月5日,同月7日,同月8日(午前9時から牛前12時まで),同月10日(土曜日),同月14日,同月15日(午前9時から午前12時まで),同月17日(土曜日),同月19日,同月22日(2回),同月25日に対策会議(M2アレイサブグループ定例ミーティングを含む。)が行われ,原告も参加した。
 同月10日(甲33)の会議においては,原告に対し,祝日である同月12日の午後9時に対策業務を行うよう指示があった。このため,原告は,同日午後8時に出勤し,翌13日午前0時30分まで対策業務を遂行した(原告)。
 同月17日の会議(甲40)では,全体計画に遅れがあり,第1期の装置について「P−DAT」投入が2週間遅れていることが指摘され,その原因として,立上げ計画段階で「大幅前倒し立上げチャレンジに対する具体的な実行計画案の未整備」等があることが指摘されたほか,装置の納期の遅れや新規設傭にトラブルが多発し,そのために各工程の検証が時問切れとなり,そのまま流品したことが問題であることが確認され,再計画,手順を踏まえむこと,人員の再配置等の取組をすることが議論された。また,この段階で,原告には,「MoW厚大により,2EtchTEOS膜減り量が過大となり,n−ドープ量オーバー」等3つの問題点についての対策の担当となり,「2Etch,3Etch条件見直し(マージン確認)」等の対策を講じることが求められた。
 原告は,T主務より前記対策のスケジュールを作成するよう指示され,15日間程度の予定で対策を行うことを記載した「M2ドライエッチング歩留対策スケジュール(暫定版・変更の可能性があります)」を作成し,同月25日の会議で報告した(甲41)。しかしながら,同会議で,M参事は,原告に対し,原告の設定した期問を「遅い」と述べ,スケジュールをさらに前倒しするように指示した(甲100,158,
原告)。原告は,サンプル作成だけで4日ほど必要であり,電子顕微鏡写真での分析も外部に委託して2,3日ほど必要であるため,3月8日にデータを提出することは不可能であると考え,「前倒しはできません,無理です。」と回答したが,これに対し,出席者らからは何らのアドバイスも指摘もなかった。
(工) 深谷工場のM2ライン立上げプロジェクトの担当者は,平成13年1月9日以降,朝8時から毎日行われる朝会に出席することを命じられた。朝会は,製造部が主催し,原告ら技術者と製造部とが不具合について話し合うもので(甲110),午前8時から開始し,30分から1時問程度行われていた。
 また,原告は,帰宅が遅くなりなり,社バスがなくなった後は,徒歩,自家用車,タクシーのいずれかの方法で婦宅した。特に,原告は,同年2月以降,朝会に出席する日には自家用車で通勤するようになった。
オ 平成ユ3年3月及び同年4月の経緯
(ア) M2ライン立上げプロジェクトは,平成13年3月1日時点で,1台目の装置による生産開始が遅れ,「スルー」,「AT(P−DAT)」も当初計画より4週間遅れていた(甲100,158,121,原告)。
 なお,同月22日に作成された「M2アレイ工程Ph−1ライン能カバランス表」(甲183)では,RIE装置(MoW)の処埋能力をさらに高めることが予定され,同年4月以降,同年7月までの各月の目標値が設定された。
(イ) 被告は,第1期で稼働予定の3台の装置のうち,平成12年12月に搬入された1台について,前言(ア)のとおり,計画どおりの立上げが進められていなかったこともあり,残り2台の搬入を平成13年2月下旬に行った。一方,被告は,これと並行して,第2期で稼働予定の4台の装置のうち2台を同年3月18日に行った。
 一方,原告の担当したドライエッチング工程では,同月中旬に,装置の異常放電不良やコイル部の水もれのトラブルが発生し,原告もその対応に追われた。このうち,異常放電不良は,装置の天板にハリがあることによって発生したトラブルであった。原告は,トラブルヘの対処のみならず,対策のために流品を停止させるため,連絡書を作成して製造担当の承認を得なければならない負担が生じていた(甲44,121)。
(ウ) 原告は,同月6日,T主務から,同月8日に開催するサブグループ定例ミーティングでRIEマージン調査結果(条件出し)の報告をするように,メールで指示された(甲26の1,原告)。
 しかしながら,これまで条件出しのデータの具体的な提出期限が定められておらず,スケジュールどおりに業務を行っていたことから,同月8日の会議で報告することができなかった(甲121,原告)。
 すると,T主務は,原告に対し,厳しく叱責し,「ドライが最重要なんだ。どうして報告しなかったんだ。」,「何が何でもデータを出せ。」,「とにかくデータを出せ。今日中に詳細なスケジュールを書いて出せ。」などと要求した(甲100,102,106,158,16O,原告)。そこで,原告は,同日が明けた翌3月9日午前1時過ぎまでかかって,データ取りを行った上,スケジュールを記載した書面(甲15,64.「MoWスケジュール」)を提出した。なお,これまでの会議では,原告ら従業員が求められた内容を報告しないこともあったが,それに対して上司からの厳しい叱責もないのが通常であった。
 その後,上記部分に関するもののみの報告会(M2 MoW RIEマージン確認報告会)が,1回目は3月13日,2回目は同月16日にそれぞれ開催された(甲42,43,64,100,121,158,原告)。
 また,原告は,同月15日(午前9時30分から午前12時まで)には,サブグループリーダー会議で1回目のマージン報告会の内容を報告した(甲27の1及び2)。
(エ) 原告は,第1期で立ち上げた1台目の装置について,同月末までに製造部に引き渡すこととなっていたことから,同月20日ころから1週間で,装置の設備移管と,この引渡しの際に必要となる「NCR−M2設備移管チェックシート」(甲61)等の相当量の書類の作成を行った
(甲61,100,100,121,158,原告)。
 もっとも,1台目の装置を製造部へ引き渡す際にも未解決の重要なトラブルが残っていたため,その対応は引渡し後も引き続き原告を含む技術部が担当していた(甲62)。
 そして,原告は,同年4月末には試作品のデータを収集し,条件変更の承認のための資料(甲66)をまとめ,同年5月からの新たな条件で流品をすることについての承認を得た。
(オ) 原告は,平成13年3月以降,平日に装置の立上げ業務を行い,土日には主にトラブル対応のために出勤していた(甲102/甲160・16項)。当初のスケジュールで土曜・日曜が出勤日とされていない場合でも,業務に遅れが生じている場合には,必然的に休日出勤を余儀なくされ,しかも,土曜・日曜連続して出勤することも多くなった(甲101,102,159,160,原告)。
 原告は,平成13年3月中旬以降,朝会に出席しないで午前9時に出社することが多くなったほか,午前1時を回って退杜することもしばしばあった(原告)。
(カ) 原告は,同年3月15日,被告(深谷工場)の「時間外超過者健康診
断」を受診した。その際,原告は,同診断の個人票(甲1Oの1)の「睡眠時間」の問診項目にっいて,「8時間以上」,「6〜7時問」,「6時間以下」と3つある選択肢の中から,「6〜7時間」の肢を選択したほか,自覚症状の問診項目について,「頭痛・めまい」が「時々」,「不眠」が「時々」と回答した。なお,「残業時間」欄は空欄となっていた。
 さらに,原告は,同年4月24日にも前記健康診断を受診し,その際の個人票(甲10の2)自覚症状の問診項目について,「頭痛・めまい」が「時々」,「咳・痰がでる」が「時々」,「食欲不振」が「時々」,「不眠」が「時々」と回答した。なお,「残業時間」欄には「258H」と記載されていた。
 また,原告は,平成13年4月11日,H神経科クリニックを受診した(甲14,111の2,112)。このときの原告の主訴は,「会社が忙しくて余り症状が出なかったが,ここに来て少しひまになり,また不眠が出てきた。夜,よく眠れずつらい」というものであり,不眠,焦燥感,不安感,抑うつ気分が認められていた。
(4) 原告の平成13年5月ないし同年7月の勤務等の状況
ア 担当業務の変更
(ア) 深谷工場では平成13年4月に組織変更が行われ,ドライエッチング
工程の3人の技術担当者の一人であるUが組織上担当を外れ,同年5月からは実質的にも原告とTとの2人体制となった(甲71の4及び5,甲102,160,原告)。
 一方,原告は,平成13年5月中旬から,F課長からの指示により,従前のM2ライン立上げプロジェクトのドライエッチング工程の担当に加え,反射製品開発業務(以下「B業務」ともいう。)及びパッド腐食問題対策業務(以下「C業務」ともいう。)を担当することになった。
 また,反射製品開発業務(B業務)には,「半透過製品」に関するデザインレビュー会議(DR−C。以下「レピュー会議」という。)及びプロセス開発承認会議(製品の出荷に向け,安全性,コスト等あらゆる視点から開発過程を検討し,被告会杜からの承認を得るための会議である。以下,「P−DAT」又は「承認会議」ともいう。)での提案責任者の業務も含まれていた。
(イ) 「反射製品」とは,バックライトにより画面を表示させる従来の「透過製晶」(透過型液晶ディスプレイ)とは異なり,室内灯や太陽光などの外からの光を反射させて表示させる液晶ディスプレイである(甲98,100,158,原告)。
 なお,「反射製品」と「透過製品」の両機能を備えた液晶ディスプレイを「半透過製品」という。
 反射製品開発は,被告にとって新しい取組であったところ,原告も,平成13年5月に担当するまで,反射製品の開発に携わった経験がなかった(甲100,102,158,160,原告)。
(ウ) パッド腐食問題とは,液晶ディスプレイの周辺にある電極端子である
「パッド」が腐食する聞題をいう。
 「パッド腐食」の対策業務は,反射製品固有の問題ではなく,液晶分野一般に関わる分野の業務である。
イ 平成13年5月の経緯
(ア) 原告は,平成13年5月以降,M2ライン立上げの第1期の2台目の装置の立上げに取り組んだほか,引き続きドライ工程のプロセス確認に携わった(甲29,57ないし60,121)。
 その一方,原告は,F課長からの指示(ただし,業務の詳細な説明はなかった。)により,反射製品開発業務も担当(リーダー兼スルー)することになり,同月10日,反射不良の打ち合わせ会議に出席した(甲100,102,121,159,160,原告)。
 原告は,その後も反射製品開発に関連する会議に出席した(甲48ないし56,121)。会議の内容・出席者,主催する課はまちまちであり,原告も内容を必ずしも理解しないまま出席を続けた。
 特に,反射製品開発業務に関し,原告の予定が最優先されたことから,同月16日に3つの会議が開催され,原告も全てに出席した(甲52ないし54,100,158)。
 特に,反射製品の新製品の出荷スケジュールは同年6月とされていたため(原告),これに間に合わせるためには,同年5月31日の承認会議で承認を得られるようにすることが求められていたが,原告は反射製品のプロセス開発の詳細内容を知らされておらず,かつそれまで承認会議を開催した経験がなかったことから,反射製品開発の知識の習得及び承認会議のための資料作成等,準備に相当の時問を割くこととなった。
(イ) 原告は,F課長から,パッド腐食問題に関する会議にも出席するよう命じられ,同月14日及び同月15日に行われた会議に課の代表として出席した(甲50,51,121)。
 その後,原告は,F課長に対し,反射製品開発業務(B業務)だけでもボリュームがあると述べて,パッド腐食問題対策業務の担当を断った。
(ウ) 原告は,反射製品開発業務の担当者として,S主務から,同月31日(木)に開催される承認会議に向けた打ち合わせを行うよう指示されたことから,同月22日,打ち合わせを開いた(甲56)。
 この打ち合わせにおいては,最初の承認会議で不合格になった間題点についての解決策や次回の承認会議に向けて新たに行わなければならない事項についての検討が行われた。
(工) 承認会議のための打ち合わせに出席した翌23日(水)はあらかじめ取得していた有給休暇日であったが,原告は,激しい頭痛に見舞われた(甲100,158)。
 その後,原告は,同月24日(木),同月25日(金)及びその翌週の同月28日(月)から同年6月1日(金)まで,療養のため連続で欠勤し,結局同年5月31日(木)の承認会議には出席することができなかった(原告)。
 原告は,同月29日(火),S医院(内科)を受診し,点滴等の治療を受けた(甲101,115の2,159)。
(オ) 原告は,前記(エ)の欠勤に当たり,同月28日(月)にF課長に電話
をかけ,体調が悪い(頭痛がする)ため今週いっぱい休む旨を伝えた。
 これに対しF課長は,「分かった,ゆっくり休んでくれ。」などと回答した(甲101,106,159、証人F,原告)。F課長は,原告の欠勤に関し,「これまで,体調が悪いということで休むことがなかったのにどうしたのか」という認識を持った(甲106)。
ウ 平成13年6月の経緯
(ア) 原告は,同年6月4日(月曜日),深谷工場に出勤したところ,担当を断ったはずのパッド腐食問題対策業務(C業務)について,自分が担当者とされていることが判明した(甲100,158項,原告)。そこで,原告は,再度,同業務の担当を断った。
(イ) 原告は,同月から,頭痛・不眠・疲労感等の症状が重くなり,業務遂行が困難と感じられるようになったため,H神経科クリニックに通院を始めるようになった(甲101,112,159,原告)。
 また,このころの原告は,原告とともにドライエッチング工程を担当していたTからみても,調子が悪く,仕事をスムーズに行えるようには見えず,疲れ気味で元気がなかった(甲110)。
(ウ) 原告は,同月7日,被告(深谷工場)において,時問外超過者健康診断を受けた(甲10の3)。
 原告は,自覚症状に関する問診について,「頭痛・めまい」が「いつも」,「咳・疾がでる」が「時々」,「食欲不振」が「時々」,「不眠」が「時々」と回答した。なお,「残業時問」欄には3か月合計で「254H」と記載されていた。
 担当の産業医は,同日,原告から体調を崩して1週間休んでいた旨を聞き,上司に相談しているのか等尋ねたところ,原告が「課長から『もう大丈夫でしょう。』と言われました。仕事を増やされました。」と回答したので,原告に対し,「まあ,1週問休んだということで」と述べ,それ以上の積極的な対策は講じなかった(甲101,159)。
(エ) 原告は,同月12日,被告(深谷工場)において,定期健康診断を受けた(甲12)。
 原告は,身体症状・自覚症状に関する間診について,「いつも頭が痛かったり,重かったりする」,「いつもからだがだるく疲れやすい」,「ときどき胃腸の痛みや食欲の低下がある」,「いつも首の痛みやひどい肩凝りがある」,「何かをするとき,いつもより集中してできなかった」,「心配事があって,よく眠れないようなことがあった」,「いつもより容易に物事を決めることができなかった」,「いつもストレスを感じたことがあった」,「問題を解決できなくて困ったことがあった」,「いつもより日常生活を楽しく送ることができなかった」,「いつもより問題があったときに,積極的に解決しようとすることができなかった」,「いつもより気が重くて憂うつになることがあった」,「自信を失ったことがあった」,「一般的にみて幸せといつもより感じたことはなかった」と回答した。
 原告は,同日,不眠を訴えて産業医の診察を受け,「頭痛,頭重思,首の痛み,肩こり,集中力不足,不眠,判断力低下,ストレス,抑うつ気分,自信喪失あり、会杜生活・仕事上のサポートやや不満,生きがいは不変,希死念慮はあまりなし」と診断された(甲117の2)。
(オ) 原告は,同月下旬ころ,F課長に対し,体調不良を訴え,反射製品開発業務の担当はできない旨申し出たが,了解を得られなかった。
 もっとも,F課長は,同月末ころ,翌月に開催する半透過製品の各会議の關催日を決める際,原告に対し「体調はどう」と尋ねていた(原告)。
工 平成13年7月の経緯
(ア) 原告は,同年7月3日、「半透過製品」のデザインレビュー会議において,提案責任者として、製品の開発内容を関係部署に説明した(甲47の1,102,160)。
 原告は,会議終了後,デザインレピュー議事録やプロセス開発承認会議等の資料を作成する準備等に追われ,同月4日にはデザインレビュー議事録を完成させたものの.「P−DAT判定依頼書及び判定結果通知書」(甲47の3及び4)の「@DRでの要処置事項の完了」部分は,夜中0時を過ぎても完了する見込みが立たなかったことから,「一部未完了」と手書きで修正したまま,午前1時に退社した(甲15,100,158)。
 そして,原告は,同月5日に開催されたプロセス開発承認会議に臨み,「DRでの要処置事項」(甲47の3)について,関係者を集めての十分な検討を同月6日までに行うこととして,承認を得た。
 これを踏まえて,原告は,同月6日に開催された製品承認会議に臨み,製品が合格とされた(甲47の5)。
 このように,デザインレビュー会議,プロセス開発承認会議,製品承認開発会議が短期間のうちに行われたのは,半透過製品を同月に出荷するというスケジュールに間に合わせるためであった(甲100,121,158,原告)。
(イ) 原告は,前記承認会議前にも,F課長に対し,体調不良のため「自分が担当しなくていいのでは」と述べたが,F課長はこれに答えなかった(甲100,158)。
 原告は,前記承認会議の終了直後,F課長に対し,再度,体調不良のため反射製品開発業務の内容を限定するよう求めたところ,F課長もこれを了承した。しかしながら,原告に代わる新担当者(リーダー)が具体的に決まらず,原告の反射製品開発業務が限定されない状態が続いた。
(ウ) 原告は,前記(ア)の一連の会議を終えた後,体調を崩し欠勤した(甲1
00,158)。
 また,原告は,同月中旬ころ,頭痛のために眠ることができず,連日頭痛薬を服用するようになった。
(エ) 原告は,同月17日,被告(深谷工場)において,時間外超過者健康診断を受けた(甲1Oの4)。
 原告は,自覚症状の問診に対し,原告は「頭痛・めまい」が「いつも」,「食欲不振」が「時々」,「不眠が」「いつも」と回答した。なお,「残業時間」欄には3か月合計で「254H」と記載されていた。
 原告は,この受診の際,個人票のほかに,「うつ病チェックシート」にも記入した。
 原告は,同日,産業医の診断を受け,産業医から「薬を飲んで治療したほうがいいかもしれない。」と言われた際,「もう精神科に通って抗うつ剤を飲んでいます。」と答えた(原告)。
(オ) F課長は,同月中旬ころ,原告に対し,「うつ状態ではないの。病院には行っているのか。その病院はちゃんとしたところなのか。週2回行っているのか。」などと質間したところ,原告から「精神科に定期的に通っている。仕事ができないので,反射製品の新リーダーを具体的に決めて欲しい。」と求められた。
 しかしながら,F課長は,同月25日ころ,原告が自宅で療養のため欠勤していたところに電話をかけ,会議への出席を求めるなどした(甲100,158,原告)。
(5) 平成13年8月以降,原告が休職するに至る経緯
ア 担当業務の変更等
(ア) 原告は,同年7月28日から同年8月6日まで,深谷工場全体の休業及び有給休暇を利用して療養したが,翌7日に出勤したところ,会杜にいることが嫌でたまらなくなり,わけも分からず涙が止まらない状態となった(甲13の2,100,158)。
 このころの原告は,F課長や同僚のKから見ても,元気がなく,席にすわってボーっとしていて,パソコンの画面を見ながら,手が止まっているなど,普段とは違う様子がうかがえた(甲106)。F課長は,このころ,原告に対し,「大丈夫か」と声をかけたことがあった(甲101,159)。
 その後,原告は,同月11日から15日まで,被告の盆休みを利用して療養した。
(イ) M2ライン立上げプロジェクトは,予定が遅れ,同年9月に至って,量産体制に入ることとなった。
 この進行を踏まえ,深谷工場では,同年8月22日,「M2ライン不良解析チーム」(甲63)を緊急発足させるとともに,原告を同チームのメンバーとし,この業務に集中することとされた(いわゆるD業務)。
(ウ) 原告は,体調回復が思わしくなく,同月24日にH神経科クリニックで「しばらく会杜を休みましょう」とアドバイスされたことにより,同年9月から療養生活に入ることにした(甲112,原告)。
イ 長期欠勤
(ア) 原告は,同年9月4日から同月30日までの間,所定休日以外の日に
は有給休暇を取得して,勤務に就かなかった。
(イ) 原告は,同年10月1日から1週問,深谷工場で勤務したが,簡単な解析や調査の手伝い,液晶パネルの点欠不良に関する記録調査を命じられたが,頭痛が生じ,再び療養することとした(甲13の6,乙12)。
 そして,原告は,同月9日,H神経科クリニックS医師作成にかかる診断書(病名 抑うつ状態)等(甲85ないし91)を被告に提出した上,欠勤を開始した。
(ウ) 被告は,原告の欠勤期間中,原告が診断書の提出と社会保険料等の支払のために月1回程度来社する際,上長(平成14年11月11日まではF課長,それ以降はY課長)におおむね3か月に1回程度の割合で面談を実施させた(乙12)。
 また,被告は,原告の病状が明確になった平成13年8月23日から休職期間満了直前の平成16年7月23日までの問,20回以上にわたり,原告に対し,臨床心理士のカウンセリングを受診させる機会を設けた(甲13)。
ウ 平成14年5月の職場復帰に向けた対応
(ア) 原告は,平成14年5月10日,被告に対し,H神経科クリニックS医師による職場復帰可能である旨の診断結果(甲92)を提出し,同年5月13日に産業医との面談を実施の上,出勤許可を受け,同日より出勤した。
 被告は,この時点での原告の職場復帰に当たっては,産業医より職場上長に対し「健康管理措置意見書」(甲13の10)により,「時問外勤務禁止」「休日勤務禁止」「出張禁止」「交替勤務禁止」とした上で「午前中勤務のみ」とする勤務制限を指示した。
 もっとも,被告は,原告が事前に提出していた職場変更の希望については,これに応じなかった(甲112)。
(イ) 原告は,同日,半日出勤し,F課長に対し,自らの体調との関係から,誰かの手伝い程度の仕事をしたいという希望を述べ(甲112),自分の荷物の荷解きをし,整理整頓をするにとどまった。
(ウ) 原告は,翌14日の朝,咋日の勤務で疲れが出たため会杜を休むとの電語連絡をし,その翌15日の朝にも同年5月末日くらいまで休みたいと電話連絡をして,再び長期欠勤することとなった(乙12)。
(6) 本件解雇に至る経緯
ア 休職
 被告は,原告の欠勤期間が所定の期問を超えた平成15年1月10日,原告に対し,同日付けで休職を発令した。
 被告は,原告に対し,休職発令後も,欠勤中と同様,上司による面談及び臨床心埋士によるカウンセリングを定期的に実施した。
イ 平成16年7月の職場復帰に向けた対応
(ア) 被告の産業医は,平成16年6月25日,「メンタル不調者の職場復帰プログラム」に基づき,原告に対し,職場復帰に当たりっての主治医の見解を聞きたい旨を説明し,原告からの情報開示に関する同意を得た上で「職場復帰に関する情報提供書のご依頼」を手交した。原告は,この時点でも,「職場復帰はできない」旨を主張していた。
 原告は,同年7月13日,「職場復帰に関する情報提供書のご依頼」による職場復帰に関する主治医の見解(甲14)を産業医に持参した。その見解は「今後も長期的な治療が必要」というものであった。
(イ) 被告は,同月16日,原告の同意を得た上で原告の父親に電話にて連絡を取り,平成13年10月9日以降欠勤し,被告の就業規則に定める(業務外の傷病における)休職期聞満了となる平成16年9月9日付けにて解雇となることを説明し,家族からもバックアップをお願いしたい旨を説明したところ,原告の父親より,翌週に被告を訪問するとの回答を得た。
 その後,被告は,同年7月22日,再び原告の父親に電話連絡したところ,原告の父親から,原告の職場復帰に向けた被告の考え方を原告に話したが,原告から職場復帰は不可能である旨を告げられたとの説明があった。
(ウ) 深谷工場勤労担当の担当者は,同月23日,原告との面談を実施し,原告の職場復帰に向けた被告の考え方について説明を行い,原告に対し,職場変更(現在の職場への復帰ができないのであれば違う職場へ変更しても構わないこと),執務環境の整備(疲れたらすぐに休めるよう健康管理室に原告独自の個室を設置する等)等について提案し,休職期問満了前に復職するよう説得を試みた。
 しかしながら,原告は,同担当者に対し,前記休職期間満了日までの職場復帰は不可能である旨告げた。
 そこで,被告は,休職期問満了日以前の職場復帰は困難であると判断し,「メンタル不調者の職場復帰プログラム」による職場復帰の取組を断念した。
ウ 本件解雇
(ア) 被告は,平成16年8月6日,原告に対し,同日付けで,通算条項を考慮した所定の休職期問満了を理由とする解雇予告を行った上,同年9月9日付けで本件解雇をする旨の通知を電話で行い,重ねて書面により同通知を行った(甲2)。
(イ) 原告は,本件解雇の通知に先立ち,同年7月29日,被告に対し,労
働組合「女性ユニオン」への組合加入通知及び団体交渉申入れを行い,同年8月18日及び同月27日に団体交渉を行った。
 また,原告は女性ユニオンと共に,東京都地方労働委員会にあっせん申請も行ったが,2回のあっせんで不調となり,同年10月5日に打ち切りとなった。
(7) 精神障害についての医学的知見等
ア 関連疾病の特質
(ア) うつ病とは,精神障害の一つである気分障害の「大うつ病性障害」を指す(甲177)。
 うつ病の診断基準としては,世界保健機関による基準(その「うつ病エピソード」についての診断基準の概要は別紙2のとおりである。甲186。以下「ICD−10」という。)やアメリカ精神医学会による基準(その「大うつ病エピソード」についての診断基準の概要は別紙3のとおりである。甲190。以下「DSM−IV−TR」という。)がある。
(イ) 適応障害とは,うつ病の症状の診断基準の項目を満たさない抑うつ状態をいう。
 ICD−10では,「重大な生活の変化に対して,あるいはストレスの多い生活上の出来事(重い身体の病気の存在あるいはその可能性を含む)の結果に対して順応が生ずる時期に発生する。」とされている。
 また,DSM−IV−TRを用いた診断では,「適応障害ははっきりと確認できるストレス因子への反応であり,他の特定の第1軸障害の基準を満たさない状態を記述するために用いられる残遺カテゴリー」で,大うつ病エピソードの診断基準を満たさない程度の症状があり,明確なストレス因子が認められれば「適応障害」とするとされている(甲190,195)。
 そして,当初「適応障害(抑うつ気分を伴うもの)」であったものがその後大うつ病性障害に発展する場合もあり,適応障害がより重篤な精神疾患の臨床閾値下の前駆症状の発現である可能性であったりすることがある(甲190,195)。
イ H神経科クリニックS医師の意見書(甲111の2)
 原告は,不安感,不眠に加え,焦燥感,抑うつ気分を認めたため「抑うつ状態」であると診断でき,平成13年4月ころには,ICD−10のうつ病エピソード(F32)を発病していたと考えられる。
ウ 天笠崇の意見(甲125,証人天笠崇)
 平成13年4月に適応障害を発症し,その後,同年6月中旬に,ICD−10の中等症うつ病エピソード発症,DSM−IV−TRの大うつ病エピソードを発症した。
 原告は,平成13年4月の段階では,ICD−10によってもDSM−IV−TRによっても,うつ病の診断基準を満たしていたと判断するのは困難である。しかし,このころ,原告が抑うつ状態にあったことは,主治医のカルテ及び診断書等から明らかに認められる(ただし,「抑うつ状態」とは単に状態を示した状態像診断であり,病名診断,疾患診断ではなく,抑うつ状態の発病ないし発症という用語も適切ではない。)。そして,その抑うつ状態について,平成12年12月以降の業務上のストレスという明確なストレス因子が存在する。したがって,平成13年4月の段階では,原告は適応障害に罹患していた。
工 埼玉労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会(以下「専門部会」という。)の平成17年12月5日付け意見書(甲127の3)
 原告は,平成13年4月ころにうつ病エピソードを発症した。
 発病前おおむね6か月間の職場における心理的負荷の強度は,平成12年12月から2台の機械装置が搬入され,平成13年1月10日の試作品製作に向けて業務量が増加し,これに伴い,法定外労働時問も増加したが,作業の中心は原告でなくメーカーであったこと,同年2月ころから原告が担当する工程でトラブルがたびたび発生していたが,これらのトラブル処理に特段の困難性が認められないこと,恒常的な長時間労働が認められ,自宅での自由な時間が少ないものの,生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時聞労働をした日が数週間にわたって連続しているとは認められないこと等を総合的に判断すると,「強」には至らない。
 したがって,原告のうつ病は,業務に起因することの明らかな疾病には該当しない。
オ 厚生労働省による平成15年度委託研究報告書「I 精神疾患発症と長時間残業との因果関係に関する研究」(甲128)
 4ないし5時間睡眠が1週間以上続き,かつ自覚的な睡眠不足感が明らかな場合は精神疾患症,とくにうつ病発症の準備状態が形成されると考えることが可能と思われる。長時問労働が精神疾患の発症に関与していると判断された例では,1日の平均残業時問は4〜5時間が多かった。発症前に睡眠時間が確保されなかった例の約4割が仕事と強い関連があると判断された。その睡眠時間は4〜5時間が多かった。
 長時聞残業による睡眠不足が精神疾患発症に関連があることは疑う余地もなく,特に長時問残業が100時間を超えるとそれ以下の長時間残業よりも精神疾患発症が早まるとの結論が得られた。
カ 旧労働省労働基準監督長の平成11年9月14日付け通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(基発第544号。甲129。以下「判断指針」という。)
 別紙4のとおりである。
 @対象疾病に該当する精神障害(ICD−10の分類による気分障害,神経症性障害,ストレス関連障害及び身体表現性障害を含む。これらは,主として業務に関連して発病する可能性のある精神障害である。)を発病していること,A対象疾病の発病前おおむね6か月の問に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること,B業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神疾患を発病したとは認められないことのいずれも満たす場合には,「業務に起因することが明らかな疾病」として取り扱う。
 精神障害の治療歴のない事案については,関係者からの聴取内容等を偏りなく検討し,ICD−10診断ガイドラインに示されている診断基準を満たす事実が認められる場合,あるいはその事実が十分に確認できなくても種々の状況から診断項目に該当すると合理的に推定される場合には,当該疾患名の精神障害が発病したものとして取り扱う。
 業務による心理的負荷の強度の評価については当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事に伴う変化等については,別表記載の指標を用いて総合的に検討する必要があるが,出来事の発生以前から続く恒常的な長時問労働,例えば所定労働時聞が午前8時から午後5時までの労働者が,深夜時間帯に及ぶような長時問の時間外労働を度々行っているような状態等が認められる場合には,それ自体で,別表記載の心理的負荷の強度を修正する。
 精神障害は,業務による心理的負荷,業務以外の心理的負荷及び個体側要因が複雑に関連して発病するとされていることから,精神障害の発病が明らかになったとき,業務以外の心理的負荷,及び個体側要因が認められない場合は,業務による心理的負荷が「強」であれば,業務起因性があると判断して差し支えない。
 業務以外の心理的負荷及び個体側要因が認められる場合,業務による心理的負荷が「強」であれば,業務以外の心理的負荷及び個体側要因が精神障害の発症の有力な原因となったと認められる状況がなければ,業務起因性があると判断して差し支えない。
キ 「職場における心理社会的因子と抑うつ症状に関するガゼル・コホート研究」(lsab1leNiedhaoer)(甲162・8頁・表5)
 純粋にストレスフルな仕事上の出来事が0個の者がうつ病に罹患するリスクを1とした場合に,ストレスフルな仕事上の出来事を1個経験した者は1.57倍,2個以上経験した者は1.73倍,うつ病に罹患するリスクが高まる。
ク 平成14年2月12日付け厚生労働省労働基準局長通達「過重労働による健康障害防止のための総合対策について」(基発第0212001号)(甲166)
 過重労働による脳・心臓疾患の発症の防止に関し,新たに届け出られる36協定について限度基準(具体的には1か月の場合45時間)を遵守するよう指導し,また36協定において月45時聞を超える時間外労働(1週間当たり40時間を超えて行わせる労働)を行わせることが可能であっても,実際の時問外労働については月45時間以下とするよう事業者に指導し,もって労働者の過重労働による健康障害を防止する。
 なお,同通達は,「労働基準法第36条の協定において定められる1日を超える一定の期間についての延長することができる時問に関する指針」(昭和57年労働省告示第69号,平成4年労働省告示第70号により改正,平成10年労働省告示第154号により改正。甲164)により,労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時問の延長の限度等に関する基準として,1か月45時間を,36臨定において労使が遵守しなければならない時問外労働時間数の限度とする旨規制していたところ,改めて出されたものである。
ケ 旧労働省労働基準局安全衛生部労働衛生課策定にかかる平成12年8月9日付け,「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」(甲176)
 事業場における労働者の心の健康の保持増進を図るため,事業場が行うことが望ましい基本的な措置(メンタルヘルスケア)の具体的実施方法を総合的に示したものである。
 同指針は,事業者に対し,事業場におけるメンタルヘルスケアの具体的な方法についての基本的な事項を定めた「心の健康づくり計画」を策定することとした上で,同計画に基づき,@労働者による「セルフケア」,A管理監督者による「ラインによるケア」,B事業場内の健康管理担当者による「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」,C事業場外の専門家による「事業場外資源によるケア」の4つのケアを推進することと定めている。
 このうち,A「ラインによるケア」の中では,「労働者の健康には,…労働時問,仕事の量と質,職場の人聞関係,職場の組織及び人事労務管埋体制,職場の文化や風土等が,影響を与えるため,これらの問題点の改善を図る必要がある。」とした上で,「個々の労働者への配慮」として,「管理監督者は,労働者の労働の状況を日常的に把握し,個々の労働者に過度な長時間労働,過重な疲労,心理的負荷,責任等が生じないようにする等,労働者の能力,適性及び職務内容に合わせた配慮を行うこと」また「労働者に対する相談対応」として,「特に,長時間労働等により過労状態にある労働者…から話を聞き,適切な情報を提供し,必要に応じ事業場内産業保健スタッフや事業場外資源への相談や受診を促すよう努めること」と定められている。
コ 大阪樟蔭女子大学の夏目誠教授の意見(甲180)
 長時間労働とストレス強度の研究において,全体では平均残業時間が「60時聞以上」は,「残業時問なし」,「10時間未満」に比べて大きな有意差を認めた。
サ 「心理社会的労働環境とうつ病・要求−裁量モデルの疫学的評価」
(Hilde Mausner−Dorsh)(甲189)
 仕事のストレイン(緊迫)が高いと,3種類全てのうつ病,とりわけ大うつ病エピソードの有病率が高くなるという関連性が認められた。この関連性は女性に強く見られた。
シ 「産業精神保健」誌(15巻1号45頁)に掲載された日本産業精神保
健学会「精神疾患と業務関連性に関する検討委員会」の委員会報告「『過労自殺』を巡る精神医学上の問題に係る見解」(乙20)
 精神障害の成因は「ストレスー脆弱性」理論で理解し,個体側の脆弱性はストレス強度との相対的関係で把握するのが精神医学の知見である。 このため,ストレス強度は客観的に把握されなければならない。厚生労働省による平成11年9月14日付け「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(判断指針)の示す出来事の強度は,ライフイベント研究に基づいて作成されており,ストレス強度の客観的な把握として合理的である。
 慢性ストレスは,精神障害発病との関連ではライフイベントと同様に重要である。判断指針は,慢性ストレスを評価するためその別表において「出来事に伴う変化等を検討する視点」を掲げており,その手法は合埋的である。
 精神障害発病前の出来事の調査期問に関しては,事例の状況に合わせて検討する必要があるが,おおむね6か月を原則とすることは妥当である。
 精神障害を既に発病した者における具体的出来事の受け止め方については,臨床事例等から正常人の場合とは異なる。既に精神障害を発病した者にとって,些細なストレスであってもそれに過大に反応することはむしろ一般的である。これは発病すると,病的状態に起因した思考により,自責自罰的となり,客観的思考を失うからとされている。すなわち,個体の脆弱性が増大するためと理解されている。したがって,既に発病しているものにとっての増悪要因は必ずしも大きなストレスが加わった場合に限らないのであるから,正常状態であった人が精神障害を発病するときの図式に当てはめて業務起因性を云々することは大きな誤りである。



2 争点に対する判断
 以上の認定事実及び前記第2の1の事実を踏まえて判断する。
(1) 争点(1)について
ア 労働基準法19条1項の「業務上」の意義
 労働基準法19条1項において業務上の傷病によって療養している者の解雇を制限をしている趣旨は,労働者が業務上の疾病によって労務を提供できないときは自己の責めに帰すべき事由による債務不履行であるとはいえないことから,使用者が打切補償(労働基準法81条)を支払う場合又は天災事故その他やむを得ない事由のために事業の継続が不可能となった場合でない限り,労働者が労働災害補償としての療養(労働基準法75条,76条)のための休業を安心して行えるよう配慮したところにある。そうすると,解雇制限の対象となる業務上の疾病かどうかは,労働災害補償制度における「業務上」の疾病かどうかと判断を同じくすると解される。
 そして,労働災害補償制度における「業務上」の疾病とは,業務と相当因果関係のある疾病であるとされているところ,同制度が使用者の危険責任に基づくものであると理解されていることから,当該疾病の発症が当該業務に内在する危険が現実化したと認められる場合に相当因果関係があるとするのが相当である。
 したがって,労働基準法19条1項にいう「業務上」の疾病とは,当該業務と相当因果関係にあるものをいい,その発症が当該業務に内在する危険が現実化したと認められることを要するというのが相当である。
イ 原告の疾患と発症時期
(ア) H神経科クリニックのS医師の意見(1(7)イ),専門部会の意見(1(7)工)では,原告について,平成13年4月にICD−10にいう「(中等症)うつ病エピソード」を発症したとされている。又は天笠医師の意見(1(7)ウ)では,同年6月にICD−10にいう「(中等症)うつ病エピソード」又はDSM−IV−TRにいう「大うつ病エピソード」を発症したとし,同年4月段階では適応障害であったとする。
 そして,平成13年4月より前に原告が「うつ病」(気分障害)に罹患していたことを認めるに足りる証拠はない。
(イ) この点,被告は,天笠医師の意見について,スクリーニングツールにすぎない「M.I.N.I.」を過去の精神疾病の確定診断に用いることは誤りであること,4年も前のある特定の時瑚における記憶を正確に想起することは不可能であり,まして,認知機能障害を伴う精神疾患を発病している者(原告)の記憶をもとに判断された調査の結果は信憑性がないこと,「発症時期の特定」についても,原告側資料にのみに準拠した予断と偏見に満ちたものといわざるを得ないこと,原告の既往歴等からみると,平成13年4月より前にも評価しなければならない「生活上の出来事」はあったと考えられるのに,これを検討していないことから,同意見を批判し,原告の通院記録・処方薬等から勘案して,平成12年7月ころには,既に原告は精神疾患を発症していた可能性が非常に高いほか,現時点において,原告の病気発症時期を特定することは困難である旨主張する。
 しかしながら,うつ病に罹患しているかどうかは,ICD−10又はDSM−IV−TRに合致するかどうかで判断されるものであって(1(7)ア),通院記録,処方薬等から推測するだけでは足りないといわざるを得ない。そして,天笠医師の診察方法に被告指摘の問題点があるとしても,天笠医師のみならず,H神経科クリニツクのS医師の意見(1(7)イ),専門部会の意見(1(7)工)においても,ICD−10を用いて平成13年4月に発症したとされているのである。
 したがって,原告のうつ病発症時期が平成12年7月であるとか,特定できないということはできず,被告の前記主張は採用できない。
(ウ) してみると,原告は,平成13年4月に,ICD−10にいう「(中等症)うつ病エピソード」又はDSM−IV−TRにいう「大うつ病エピソード」を発症した,すなわちうつ病を発症したものと認めるのが相当である。
ウ 原告の平成12年12月から平成13年4月までの就労時間
(ア) 被告の提出した勤務表(タイムカード)(乙1)によれば,原告の原告の平成12年11月から平成13年4月までの各就労日の始業時刻,終業時刻は別紙5の「乙1(勤務表:被告)」欄記載のとおりである。
 しかしながら,原告の供述,証人Fの証言及び弁論の全趣旨によれば,前記勤務表は原告が深谷工場で勤務していた当時に原告が作成したものではないし,AQUAシステム所定の手続に従って作成されたものでもない(フォーマットも異なり,原告の押印もない。)ことが認められるから,必ずしもこの勤務表が原告の労働実態を反映したものであるとはいいがたい(これに反する甲105は採用できない。)。
 少なくとも,原告は,午後9時ころまでに帰宅できる日には,午後6時台の休憩時間は取っていなかったし,午後10時台の休憩時問はとっていなかったのである(1(2)ウ)から,この点を考慮して勤務表記載の就労時間を修正することが合理的である。
 また,甲15(原告が職場で使用していたパソコンのハードデイスクの内容をコピーしたCD−ROM及びフロッピーディスクについて,各フォルダ内容の電子データの「更新日時」(最終編集日・時刻)を一覧表形式で判別できるように一覧表にしたもの。他者が作成したファイルを原告のパソコンにコピーしたもの等,原告自身が保存したデータでないものは中線等で抹消してある。)によれば,勤務表記載の就労時間外に作成されたことを示すデータファイルがあることが認められる。そして,甲106,110及び原告の供述によれば,甲15記載のデータファイル(中線等で抹消されていないもの)の保存時刻については,その時刻に原告が深谷工場で勤務していたことを示すものと認めるのが相当である。そうすると,この点も考慮して勤務表記載の就労時問を修正することが合理的であるし,終業時刻については,データ作成(保存)と同時に退社するということは通常考えられないし,平成12年12月から平成13年4月までの原告の勤務実態(前記1(3))に照らしても,データ作成(保存)時が勤務表記載の時刻より遅い場合には,その時刻より15分遅い時刻をもって終業時刻としても,実際の終業時刻より早い時刻を認定することにはならない。
 したがって,勤務表記載の就労時間については,前記の休憩時間の取り方を考慮して休憩時問を修正し(別紙5の「乙1(勤務表:休憩時間を実態に合わせて修正)」欄のとおり),原告の作成したデータファイルの保存時刻等を考慮して終業時刻(就労時間)を修正し(別紙5の「甲15(データ)による修正」欄のとおり),原告の実働時間を算定することが相当である。
(イ) もっとも,原告はフレックスタイム制の適用を受けて就労していたのであるから,その時問外勤務時間を求めるには,各月の実労働時間から,以下の所定労働時聞又は法定労働時問を控除する必要がある。
 所定労働時間=7時間45分×1か月の所定労働日数
 法定労働時間=週40時間×1か月の暦日/7日
 したがって,原告の平成12年11月から平成13年4月までの実労働時間,所定外労働時間及び法定外労働時問は,別紙6のとおりと認められる。
(ウ) 原告は,客観的証拠がない場合でも午後11時まで残業していたと推定すべきであると主張するが,毎日午後11時まで必ず残業していたとまではいえないから,採用できない。
エ 原告の平成12年11月から平成13年4月までの就労実態
(ア) 原告は,ドライエッチング技術に長年携わってきており,ドライエッチング工程それ自体は,原告にとって真新しい仕事内容ではなかった。
 しかしながら,M2ラインは,ポリシリコン液晶の製造ラインであって,従前のアモルファス液晶と異なる膜を扱い,異なるエッチング方法を用いること(1(2)ア(ウ)),第3世代の大きさのボリシリコン液晶(当時世界最大)を製造するため,装置も金属のハリがついた新たなものが導入されたことから,これまでのM1ラインでは生じなかったトラブルが発生し,その対策に追われ,平成13年2月以降は,複数のトラブルを抱えて対策を講じるなど,業務量が増大したことが認められる。
 しかも,M2ライン立上げのスケジュールは,「垂直立上げ」という短期計画であり,同じくポリシリコン液晶の生産をしていたM1と異なり,第1期と第2期が重なり,全体の計画期間も1年1か月以上かけられたM1ラインと異なり,6か月の予定で第1期,第2期も終える予定で進められるなど,後に,平成13年2月17日の会議で,立上げ計画段階の「大幅前倒し立上げチャレンジに対する具体的な実行計画案の未整備」等があることが指摘される(1(3)工(ウ))ほど,繁忙かつ切迫した
ものであったということができる。
 そして,原告は,ドライエッチング工程において,初めてリーダーとなり,これまでとは異なり,リーダー会議や歩留対策会議への出席と担当工程の進捗管埋を行うことに携わり,同年2月から同年3月にかけて,相当回,関連の会議に出席し(しかも,その間隔は短かった。),上司から期限を区切ってデータ資料の提出を求められ,それが期限どおりにできないことで叱責を受けるなど(1(3)工(ウ),(4)オ(ウ)),新たな負担が増加している。
 そして,原告は,これらの業務をこなすため,別紙5のとおり,平成12年12月に11日,平成13年1月に9日,同年2月に14日,同年3月に14日,同年4月には11日,午後10時を過ぎて勤務をしていたのである。
 そうすると,原告の平成12年12月から平成13年4月までの就労実態は,質的にみても,原告に肉体的・精神的負荷を生じさせたものということができる。
(イ) この点,被告は,M2ラインのドライエッチング工程においては新規性に乏しく,トラブルの対策についても通常の業務の範囲内であるし,M2ラインの立上げプロジェクトが「垂直立上げ」であったことは,平成12年12月以前に分かっていたことであって,ドライエッチング工程について見れば必要な期問を確保していたし,対策会議への出席もトラブル解決のためには有益であって,これを「負荷」というのは適切でない,などとして,原告の平成12年12月から平成13年4月までの就労実態は,質的にみても,「精神的に追いつめられる」ような時間外労働ではない旨主張する。
 しかしながら,M2ラインのドライエッチング工程においてもM1ラインでは使用されていない新しい装置が導入され,そのことがトラブル発生につながっている。また,トラブルの対策が被告のプロセス技術者としての通常業務であり,「垂直立上げ」のことが分かっていたとしても,そのことと,当該業務内容が客観的な「負荷」となるかどうかは別問題である。ドライエッチング工程について必要な期間を確保しても,その前の成膜の段階でトラブルが発生すれば,必要なサンプルが入手できず,また成膜のプロセス確認に時間を要するとすれば,結局,その後の工程であるエッチングの段階ではますます余裕のないスケジュール(深夜の就労等も多くなった。)で進めなければならなくなり,担当者である原告にとって精神的負担になったことは否定できないところである。加えて,会議出席が有益かどうかということと,出席することが客観的に「負荷」となるかどうかも別問題である。
 したがって,被告の前記主張は,前提を誤るか,客観的に「負荷」といえるかどうかとは関連性の薄い事柄を指摘するものであって,採用できない。
オ 原告の個体側要因
 原告は,平成12年12月に神経症と診断されているが,精神疾患の既往歴はなく,家族にも精神疾患を発症した者はいない。
カ まとめ
(ア) 以上のとおり,原告の平成12年12月から平成13年4月までの就労については,就労時間の面からいっても,別紙6のとおり,所定時間外労働時問は平均90時間34分,法定時間外労働時間は平均69時間54分であり,いずれにせよ,疫学的研究(1(7)コ)で有意差が見られたとする「60時問以上」というレベルを超えており,その業務内容も,業務内容の新規性,繁忙かつ切迫したスケジュール等,原告に肉体的・精神的負荷を生じさせたものということができる。
 一方,原告は,平成12年12月に神経症と診断されているが,精神疾患の既往歴はなく,家族にも精神疾患を発症した者はいない。
 他に,原告の業務以外にうつ病を発症させる要因があったことを認めるに足りる証拠はない。
 したがって,原告が平成13年4月に発症したうつ病は,原告が従事した深谷工場での原告の平成12年12月から平成13年4月までの業務に内在する危険が現実化したものというのが相当である。
(イ) 被告は,当時の原告の時問外労働時間や休日・休暇の取得の実態,並びに曄眠時間の実態からすると,当時の業務が精神疾患を発症させるような特に過重な業務であるとはいえないし,原告の最終出勤日である平成13年10月6日以降,今日現在まで6年間以上も会杜業務(原告が主張する病気発症の原因)に一切携わっていないにもかかわらず,現在も治ゆしていないことからしても,業務起因性が否定されるべきである旨主張する。
 しかしながら,業務起因性を認めるためには,うつ病を発症させる程度に過重な業務であれば足りるのであって「特に過重な業務」である必要は必ずしもなく,前記認定の原告の業務の量(時問),質(内容)に照らすときは,原告の休日・休暇の取得の実態,並びに睡眠時問の実態をもってしても(原告の休日・休暇の取得,睡眠時問の確保が通常勤務している者より多いことを認めるに足りる証拠はない。また,原告は,平成13年4月ころは不眠を訴えていることも考慮すべきである。)なお,業務起因性を認めることを妨げるものではない。
 したがって,被告の前記主張は採用できない。
(ウ) してみると,原告の業務とうつ病の発症との問には相当因果関係があるということができ,当該うつ病は「業務上」の疾病であると認められる。
 そうすると,本件解雇は,原告が業務上の疾病にかかり療養のために休業していた期間にされたものであって,労働基準法19条1項本文(及び就業規則27条)に反し,無効であるといわざるを得ない。
(2) 争点(2)について
ア ー般に,使用者は,その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う(最高裁判所平成12年3月24日判決・民集54巻3号)。
イ 本件において,被告は,M2ライン立上げプロジェクトに関し,短期間の余裕のないスケジュール(垂直立上げ)を組み,原告に長時間の時問外労働をさせているところ,その時間は特別延長規定の定める時問をも超えている。このことは,AQUAシステムによる時間外勤務の申告手続等を通じて,被告(F課長)も把握していたものと認められる。
 また,被告においては,平成12年4月,「こころの“ほっとWステーション」を設置して,従業員のメンタルヘルス対策に着手していたのであるし,平成13年3月及び4月の「時間外超過者健康診断」の問診結果から,原告が頭痛,不眠等の自覚症状を訴え始めていることを認識していたものと認められる。
 してみると,被告は,遅くとも同年4月には,原告について,その業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っていたものと解するのが相当である。
ウ にもかかわらず,被告は,同年4月以降も原告の業務を軽減することなく,引き続きM2ライン立上げプロジェクトに従事させ,同年5月には同じ工程を担当する技術者を1名減らした(原告を含めて2名となった。)上,反射製品開発業務という原告が携わったことのない業務を併任させ,準備に追われた原告を同月下旬には12日問連続して欠勤させるという事態に陥らせた。
 さらに,F課長は,原告が同年6月上旬に復帰した後も,業務軽減をすることをせず,反射製品開発業務の担当ができないとする原告の申し出を事実上断った。
 そして,被告は,産業医を通じ,定期健康診断等で原告の自覚症状の変化(ストレス感,抑うつ気分,自信喪失)に気づき,業務負担軽減等の措置を講じる機会があったにもかかわらず,かえって同年7月に「半透過製品」の承認に必要な会議の提案責任者として当たらせ,短期間のうちに会議出席,資料・データ作成に当たらせた。
 その後,原告は体調を崩し,業務に集中できず,急に涙を流したり,放心状態でいることも見られるようになった。
 してみると,原告が平成13年4月にうつ病を発症し,同年8月ころまでに症状が増悪していったのは,被告が,原告の業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して心身の健康を損なうことがないような配慮をしない債務不履行によるものであるということができる。
工 もっとも,被告は,同年8月下旬には,原告の業務を「M2ライン不良解析」に限定し(これに反する原告の主張は採用できない。),翌9月からの療養を勧め,長期欠勤及び休職を認め,その間も,臨床心理士によるカウンセリングを定期的に受けさせ,上長による面接を通じて原告の病状の把握及び回復状況の把握に努め,「メンタル不調者の職場復帰プログラム」に基づく職場復帰に向けた対応等をしていることが認められる。
 この点,原告は,平成13年10月上旬に1週間復帰した際及び平成14年5月13日の半日に職場復帰した際のF課長の対応を問題にするが,F課長が命じた業務は相当程度軽いものである一方,当時は原告が既にうつ病に罹患した状態であり,反応性が高かった(1(7)シ)こともあるから,一概にこれを配慮を欠く措置であったということはできないところである。
 したがって,被告の平成13年8月下旬以降の対応については,これを原告の病状の悪化と因果関係がある安全配慮義務違反ということはいえない。
(3) 争点(3)について
ア 被告の原告に対する本件解雇は無効であるし,原告は業務上の疾病であるうつ病により労務の提供が社会通念上不能になっているといえるから,原告は,民法536条2項本文により,原告は被告に対し本件解雇後も賃金請求権を失わない。
 そして,その(平均)賃金額は,証拠(甲83の1ないし30,84の1ないし5)及び弁論の全趣旨によれば,原告が精神障害を発症する以前の平成12年の年収額が568万5983円であることが認められるから,月額47万3831円と認めるのが相当である。
イ また,原告は,業務上の疾病であるうつ病により労務の提供が社会通念上不能になったのであるから,平成13年9月分から本件解雇前の平成16年8月分月まで月額47万3831円の割合による賃金請求権を有しているといえることから,原告が被告の健康保険組合から支給を受けた傷病手当金等との差額についての請求は,これを賃金講求として認めることができる。
 したがって,原告は,被告に対し,以下のとおり,平成13年9月分より平成16年8月分まで,合計511万7382円の未払賃金請求権を有するというのが相当である。
 @平成13年9月〜平成15年2月分
  568万5983円×(100−80)×1.5年
                      =170万5794円
 A平成15年3月〜平成15年8月分
  568万5983円×(100−80)×0.5年
                      =56万8598円
 B平成15年9月〜平成16年2月分
  568万5983円×(100−60)×0.5年
                      =113万7196円
 C平成16年3月〜平成16年8月分
  568万5983円×(100−40)×0.5年
                      =170万5794円
ウ 本件解雇及び被告の前記(2)で認定した安全配慮義務違反と相当因果関係ある損害は,以下の(ア)ないし(オ)のとおり,合計323万4000円であるというのが相当である。
(ア) 治療費
 前記第1の1(6)のとおり,合計17万3500円である。
(イ) 診断書作成料
 前記第1の1(6)のとおり,合計5万6200円である。
(ウ) 交通費
 証拠(甲85ないし89の各1,101,159)及び弁論の趣旨によれば,原告が平成13年9月から平成14年1月までの間,山口県S市の実家で療養し,月1回程度の割合で,うつ病の診察等のため,深谷市の会社の寮に戻っていたことが認められるところ,実家と会社の寮の問の往復の交通費合計20万4300円は,被告の安全配慮義務違反によるうつ病発症と相当因果関係のある損害といえる。
(工) 慰謝料
 本件解雇及び前記(2)で認定した安全配慮義務違反行為により原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては,本件口頭弁論期日に至るまで原告のうつ病が治ゆしたことを示す証拠が提出されていないこと,被告による平成12年12月から平成13年8月まで原告に従事させた業務が過重であり,同年8月までの対応も含め,原告に対する安全配慮を欠くものであったこと,本件解雇が無効であることにより差額賃金が支払われること,被告の平成13年8月下旬以降の対応については安全配慮義務違反があるとはいえないこと,むしろ,被告は原告の復帰のために相応の努カをしていること等の事情を総合考慮し,200万円と認めるのが相当である。
(オ) 弁護士費用
 被告において負担すべき原告の弁護士費用としては,80万円が相当
である。



3 結語
 以上の次第であり,原告の本訴請求は,雇用契約上の権利を有する地位の確認,本件解雇後である平成16年10月から本判決確定に至るまで毎月25日限り月額47万3831円の割合による賃金の支払並びに慰謝料等835万1382円及びこれに対する平成16年12月10日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから,その限度で認容し,その余の部分については理由がないから,棄却することとする。
 よって,主文のとおり判決する。

          東京地方裁判所民事第11部

                        裁判官  鈴   木   拓   児



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