東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判

意見陳述書

平成16年(ワ)第24332号解雇無効確認等請求事件
              意見陳述書

  私は、東芝での異常な長時間残業、そして次々指示される新業務などのために、精神的に追いつめられ、休業を余儀なくされました。

  2000年12月に、私がリーダーを務めるM2ラインドライエッチング工程の立上げが始まりました。計画の段階から短すぎるスケジュールでしたが、やはり実際に計画通りには進まず、私を含めたくさんの人が連日深夜残業・休日出勤を強いられました。流品開始後は起こるべくしてトラブルが多発しました。毎日のように会議が開催され、私はその対策に負われました。会議の次の日にトラブルが解決していないと、きつく叱られました。そうしているうちに次々と新しい装置が搬入され、その対応もしなくてはなりません。仕事ができないと言えばまた叱られます。体はくたくたに疲れ、帰宅後、ベッドに倒れ込むようにして寝て、朝飛び起きてバスに乗る、そんな生活が続きました。お風呂に入れない日もありました。「背中が猫背になっている」と同僚から言われたこともありました。たくさん責められるため、体が縮こまってしまったのです。

  疲れた、もういやだ、もう仕事したくない。そう思っていた2001年5月、突然、反射型という新製品の開発担当リーダーを強引に担当させられ、わけのわからないまま毎日のように会議に呼ばれ、承認会議はいつやるんだ、対策を早くやってくれなどと責められ、担当してから1週間で倒れてしまい、12日連続で休んでしまいました。

  しかし、本当の地獄はここからでした。

  私はそのころ、会社に行くのがやっとの状態になっていました。それでも容赦なく次々仕事が課されました。「体調が悪いからできない」と断るだけでも体力が必要でした。課長に不調を訴えても仕事をやらされました。もはや正常な思考はできなくなっていて、つらくてたまらない、どうしたら今の状態から逃れられるのかと考えながら毎日会社に通っていました。課長は、「うつじゃないの」と私に心配そうに言ったその翌週、私が体調不良で休んでいるときに自宅に電話をかけてきて、会議に出席してほしいと言ってきたのです。強い恐怖と絶望感を感じました。

  産業医には、定期検診時や自分で赴いたりして不調を訴えましたが、産業医は結局何もしてくれませんでした。

  7月には同僚が自殺しました。過労が原因だと誰もが思いました。仕事のために自らが命を絶たなければいけないなんて、そんなことがあっていいのか。お通夜では涙が止まりませんでした。こんなに悲しかったお葬式は初めてでした。

8月の夏休み明けから会社にいるのが嫌で嫌でたまらないと思うようになり、9月から会社を休みました。会社を休み始めてから、すごい勢いで体調はよくなりましたが、それでもただ横になっているだけでつらい状態が続きました。今も一日の大半を横になって過ごしています。

  精神疾患の場合、一般の人からの理解を得るのは難しく、辛い思いをすることもあります。


  休職期間が切れる前に、労災と認めてくれるように会社に求めましたが、認めてもらえませんでした。また東芝労組からは、なぜか突然呼び出され、会社と同じようなことを言われました。私は女性ユニオンに加入し、2度の団体交渉に望みましたが、進展はなく、実質的に打ち切りの状態となりました。やむなく都労働委員会にあっせんの申請をし、9月15日に会社と話し合いをすることになっていましたが、それにもかかわらず、会社は9月9日に私に解雇通知を送りつけ、そこには13日に退職手続きをするように書いてあったのです。どうして会社はちゃんと話し合いで解決しようとせずに、嫌がらせをするのでしょうか。会社のその態度のために、私の精神状態は不安定になり、しばらく安定剤を毎日飲まなくてはならない状態に陥ってしまいました。

  会社は、私の病気を労災と認め、労災が起きてしまったことを反省し、今後の職場の環境改善、特に管理者教育とメンタルヘルスの改善に努めて欲しいと思います。形式だけで実態をなさない定期検診、産業医の対応等、改善すべき点はたくさんあると思います。

 過重な労働を会社がさせなければ、私が発症することもなかったし、体調が悪いと最初に訴えた段階で会社が適切に対応していれば、こんなに病気が長期化することもなかったと思います。病気が会社の業務のせいである以上、そして病気が治る見込みがある以上、解雇はありえません。そして、会社の適切な対応無しには、復帰はありえません。私のように過重な労働によって苦しむ人がいなくなるような職場になって欲しいと思います。

 裁判所には、ぜひとも公正なご判断をいただけますよう、よろしくお願いいたします。

 東京地方裁判所 民事第11部 御中

   2005年1月24日                 原 告  重光由美

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