東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判・控訴審

平成20年(ネ)第2954号 解雇無効確認等請求事件

和解協議 2008年8月6日 9月12日 10月6日 
           

出席者 原告側 重光由美 川人弁護士、山下弁護士、小川弁護士、島田弁護士
      被告側 代理人2名 東芝3名(深谷工場総務部長・課長 本社総務)
                
場所   東京高裁第11民事部

■全体 
東芝側は、控訴審より、弁護士2名、総務担当3名の合計5名体制になりました
原告側は、控訴審より弁護士4人体制になりました。

8月6日初公判終了後、法廷からラウンドテーブルに場所を移して、初めての和解協議(非公開)が行われました。
地裁では、裁判の進行状況によって、途中で裁判官から和解の勧告がありましたが、高裁では、初公判の後、最初に「和解協議」が行われます。9月に数回協議を行い、「和解」について結果を出すことになるそうです。
和解協議は、原告被告が別々に裁判官と話し合いを行い、内容は原則非公開となります。片方が裁判官と話しあうときは、もう片方は、外で待っています。
控訴審自体は裁判官3名の合議制ですが、和解は主任裁判官1名が担当します。

●第1回和解協議(初公判後)
公判後、第1回目の和解協議が行なわれましたが、1回目という事もあり、裁判官はお互いの出方を探っているように感じました。
勝訴・控訴審突入で私が体調が悪化していたため、1か月実家で夏休みを過ごしたいと弁護士に頼み、次回和解協議は9月12日に行われることになりました。

●第2回和解協議 9月12日 10:00〜
和解協議では原告、被告別々に話し合いが行なわれ、1時間程度で終わりました。
次回の和解協議は10月6日となりました。

●第3回和解協議 10月6日 16:30〜
1時間以上かけて、個別に裁判官と話し合いが行なわれましたが、次回に持越しとなりました。
私の考えは決まっているので、全ては東芝の対応次第、の気がします。

当初は、東芝が業務上と認めて和解に応じるとはとても思えず、決裂するだろうという予想でしたが、意外にも東芝は和解に乗ってきたようで、予定の3回の和解協議以降も、和解ベースで弁論を続けて行くことになりました。
次回の和解協議は、10月20日の第2回口頭弁論の公判終了後に行われることになりました。


□原告感想

2008年4月22日の東芝との地裁勝訴では、素直に喜べたのはその直後だけ、東芝の即日控訴、翌日には、達成感からくる燃え尽き鬱なのか、なぜか体調がひどく悪化しました。回復もままならないまま、東芝の即日控訴により控訴審に突入、控訴理由書や準備書面の作成でとにかく忙しく、さらに平行して進んでいる国との行政訴訟(労災不支給取り消し訴訟)の弁論期日(4月23日・7月15日)もあり、疲れはたまっていく一方の状態で、控訴審初公判の日8月6日を迎えました。
そして、初公判終了後、そのまま東京駅から新幹線に乗り、山口県の実家に帰省しましたが、帰省中も2つの裁判書面の作成に追われ・・・

9月の頭に実家から埼玉に帰ってきてからも、今度は弁護士から到着した2つの裁判の書面(結構な量)のチェックに追われ、帰省疲れも取れない状態で、9月12日和解協議当日は相当疲れての外出となりました。

その後、9月25日行政訴訟(労災不支給取り消し訴訟)の第5回弁論準備をはさんで、10月6日の控訴審和解協議を迎えました。外出だけでも疲れるのですが、和解の話し合いでは不安定になる事も多く、どうにも疲労がたまって行くようです・・・毎週のように裁判があり疲れがとにかく酷い。

東芝との控訴審、国との行政訴訟と、裁判が2つ平行して進行するのはかなりきつい。
しかも和解協議は日程の間隔が短いため、外出出の疲労に加えて、裁判での不安感もあり、疲れはたまる一方です。とにかく疲労真っ最中です。

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