東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判・控訴審

平成20年(ネ)第2954号 解雇無効確認等請求事件

原告 陳述書


                    陳述書


                                   平成22年 5月10日

東京高等裁判所 第11民事部 御中




                    住所


                    氏名



                    目 次


第1 はじめに 3
第2 うつ病発症まで-M2ライン立上げプロジェクト 3
第3 5月以降の反射製品担当と症状の増悪 5
第4 12連休復帰後の業務 6
 1 パッド腐食業務(C業務) 6
 2 6月以降休職するまで 7
 3 半透過製品P-DAT 8
 4 M2ライン不良解析チーム 11
第5 産業医の対応 13
第6 平成13年9月以降の療養生活,つらい症状との闘い 13
第7 周囲からの偏見 14
第8 平成13年10月と平成14年5月の職場復帰について 15
第9 平成16年5月以降の職場復帰プログラム 16
第10 会社のした解雇の悪質さと私の症状の悪化 16
第11 解雇通知後の会社の私に対する態度 18
第12 上司が私にした悪質なパワハラと私の深刻な症状 20
第13 東芝の社会的責任 22
第14 最後に 23


第1 はじめに
  一審の東京地方裁判所は,私の業務が過重であったこと,そしてその業務と私のうつ病との因果関係を正当に認めてくれ,解雇が無効であることを認めてくれました。会社が徹底的に私の主張を否定している中,私の主張をほとんど全面的に認めた公正な判決を出していただいた一審裁判官には,大変感謝しています。
 しかし,慰謝料の額が200万円というのは,私が受けた苦痛・損害に対するものとしては,あまりに低いと思います。
 以下,私が受けた苦痛や損害がどれだけ大きなものであったかについて,陳述します。

第2 うつ病発症まで-M2ライン立上げプロジェクト
 1 ラインの立上げ業務は,スケジュールやノルマに追われ,長時間残業を伴う,負荷の高い業務です。このことは,同僚や,一審裁判所,そして,行政訴訟での判決でも認めています。東芝に入社してから繰り返されてきた立上げ業務等で疲労が蓄積し,私はいつしか,頭痛や肩こり,疲労感に悩まされるようになりました。私は,体づくりのため週一回のエアロビクスを始め,食事などの体調管理には気をつけるようになりました。特に,深谷工場転勤後に従事した世界初のポリシリコン液晶の量産ラインであるM1ラインの立上げ関連の業務(平成10年~平成11年)が過酷だったこともあり,平成12年頃には頭痛や肩こり等がひどくなったため,病院を受診し,仕事で無理をして症状が悪化しないように心掛けていました。
 2 M2ラインの立上げは,計画の段階からM1ラインよりもさらに厳しい無謀なスケジュールだったので,大変な業務となるであろうことは予測していました。私は,体調にはとにかく気をつけることにし,なるべく仕事は簡素化させてとにかく早く帰る,最悪の場合でもタクシーがなくなる午前1時30分までには絶対に会社を出る,徹夜はしない,週に1回は会社を休んで力づくりのためにエアロビックスに通う,といったことを心掛け,M2ライン立上げ業務にのぞみました。
 3 平成12年12月からM2ラインの立上げが始まると,予想した以上に業務は厳しいものでした。私は,連日,深夜作業や休日出勤を強いられ,厳しいスケジュールや毎日のように発生するトラブル対策に追われ,寝る以外のほとんど全ての時間を仕事に費やさなくてはならない状態になってしまいました。
   M2ラインの立上げの過酷さは,同じ業務に携わった同僚のOさん,Kさん(労災に認定)が平成13年に相次いで自殺する事態になったことからも,わかっていただけると思います。
 4 平成13年2月,3月には,私がリーダーを務めていたドライ工程でトラブルが多発し,この工程がいちばんの問題であるとされました。対策スケジュールを書いて上司たちに報告したところ,「遅い」と言われました。過酷な立上げ業務で多忙な中,精一杯できるスケジュールを書いた私は,「これ以上は早くできません」と言いましたが,H課長は無言で会議室から出て行きました。その後何も言われず会議は終了したため,このスケジュールで了承されたと私は認識しました。その後,H課長より「ドライ工程のトラブル対策が最重要」と書かれたメールが,液晶事業部・深谷工場の全部課長や私の課全員宛に送付されました。このメールを読んで,私は,これは部下の私を追い詰めるような行為だ,上司として信じられないと思いました。現に,全く関係のない,製造の課長など複数名から,「ドライ工程の問題はどうなっているんだ」ときつい言われ方をし,強いストレスを感じました。
 5 そして,翌週のアレイSG定例ミーティングで報告しなかっただけで厳しく叱られました。私が「今回は報告ができなかったがきちんとスケジュールどおりにやっている」と言っても,上司らは全く聞く耳を持たない状態で,「何が何でもデータを出せ,今日中に詳細なスケジュールを書け」ときつく言われました。ただでさえ業務に追われて大変な状況で,夜中の0時過ぎに,「私はスケジュールどおりに一生懸命にやっているのになぜ叱られてスケジュールを書かなくてはいけないのか」と,脱力感に襲われながら,スケジュールを書きました。
 6 上司からの強制はそれだけでは終わりませんでした。翌週には報告会が2回も行われ,SG定例ミーティングとあわせて合計週3回報告をさせられました。私はきちんとスケジュールを提出し,そのとおりにやっていると言っているのに,助言も指導も全く無いまま,聞く耳も持たず,自分たちのスケジュールを押し付けてくる,どうしてこんなに働かされなくてはならないのか,強制的に働かされている,と感じ,そのストレスは非常に強いものでした。毎日睡眠時間を削り,その睡眠時間と,30分程度の通勤時間以外は,ずっと働いているような状態でした。そのような過酷で強制的な労働が,2月末から3月末まで続きました。4月にトラブル対策に一応目処が立った状態になると,体調が酷く悪化していたため,精神科を受診しました。
 7 M2ラインの無謀な立上げ業務での長時間過密労働だけでも,うつ病が発症するのに十分ですが,私がなんと言っても辛かったのは,きちんとスケジュールを提出しそのとおりにやっていると言っているのに,聞く耳を持たず,強制的に働かせた上司からのパワハラともいえる強いストレスでした。仕事を遂行するためには部下の訴えを無視し,強引に自分たちのスケジュールを押し付ける上司たち。できないといっても助言もアドバイスも無く,理由も聞かずに強制的に強引に働かされるのでは,体調を管理しようがありません。上司としてあまりにも不適切な対応で,私の受けた苦痛は甚大です。

第3 5月以降の反射製品担当と症状の増悪
 1 5月に入り,M2ラインの立上げがまだ途中で多忙だった私に,F課長は突然,新しい業務である反射製品(B業務)のリーダーを命じました。
   しかも,F課長は,反射の開発項目の担当者のほとんどの欄に私の名前が書いてある書類をぽんと渡しただけで,業務内容の説明はありませんでした。突然命ぜられたので,私は「反射製品開発は今,実験のような簡単な業務レベルなのかな?」と思ったのですが,実際は,反射製品は実験の段階どころか,翌月に出荷を控えて,ラインで量産が始まっていたのです。そのような状態であることもわからず,私はいろいろな部署から突然会議に呼ばれ,「トラブル対応をしてほしい」「P-DATのスケジュールはどうなっている」などとせめられ,M2ライン業務の引継もままならないまま,担当してから一週間で激しい頭痛に襲われ,12連休で会社を休まなければならなくなりました。
 2 特に,P-DATの主催という業務は,同僚のKさんやYさん,Tさんも証言しているように,大変負荷の高い業務です。Tさんは,「新たな業務についた途端でのP-DATを主催するという状況は相当に大変」と述べています。私は,M2ライン立上げでうつ病を発症しくたくたに疲れた状態で,突然新たな業務,しかも「相当に大変」な業務であるP-DATの主催を含んでいる業務を課せられました。F課長は,M2ラインの立上げで私が長時間残業をしていたことやトラブル対策が大変だったことを知っていながら,全く何の説明もなく非常に負荷の高い業務を私に課したのです。これは,上司としてあまりにも配慮に欠けた業務の課し方です。突然の,あまりに負荷の高い業務に,私は一週間で倒れてしまったのです。

第4 12連休復帰後の業務
 本当の地獄はここからでした。12連休明け,私は,会社に行くのもやっとの状態になっていました。
 1 パッド腐食業務(C業務)
   パッド腐食は,反射業務を命ぜられたときに,合わせて命ぜられました。F課長から突然会議に出席するようにと言われ,出席しましたが,反射業務特有の問題ではないこと,この業務の負荷が高いため反射業務と兼任ができないことを理由に,課長にパッド腐食業務を断りました。課長は「わかった」と了承し,同じ課のF参事が担当することになりました。
   その後,私は倒れて12日間連続で会社を休んだのですが,連休明けに出社すると,設計部やF参事から,「重光さんが担当になっているからパッド腐食の業務をしてほしい」と言われました。メールを見ると,私が休んでいる間に開催されたパッド腐食の会議の議事録が,F課長から私宛に届いており,担当者として私の名前が書いてあったのです。担当を断って了承された業務に,体調を崩して休んでいる間に,本人に何の了解もなく担当者にするとは,全く信じられません。しかも,直接私に説明も無く,メールで議事録を送ってくるだけです。F課長のあまりにも無責任な行為に,私は唖然としました。私は,製品担当やF参事に,「F課長に担当ではないと言ってあるので,F課長に言って欲しい」と断りました。
 翌日,F参事とF課長との間でどのような会話があったのかわかりませんが,F参事がまたやってきて,「重光さんにパッド腐食の仕事をしてほしい」としつこく言われたため,また強く断りました。F参事にはこれ以降,重光さんが担当なのに自分に仕事を押し付けられた,といわんばかりの冷たい態度を取られました。
 2 6月以降休職するまで
12連休で倒れた後,私は会社に行くのがやっとの状態になっており,この頃から定期的に精神科に通院し,抗うつ剤と睡眠薬を飲み始めました。
M2ラインは引継ぎを行い,反射業務は,開発内容がどのようなものか,現在の状況がどうなっているかを調べるところから始めていました。
「重光さんが担当になっているからこの業務をやってほしい」と言ってくる人が相変わらずおり,体調が悪いことなどを理由に断ると,「重光さんが担当なのに仕事をやらない」と冷たい態度を取られることが多く,それがまた精神的に苦痛でストレスとなり,体調はどんどん悪化していきました。
 3 半透過製品P-DAT
  (1) 6月下旬,F課長が「体調どう?半透過製品のP-DATの日程どうしよう」と言ってきました。私が「体調悪いです。病院に通っています。P-DATは私が主催しなくてもいいのではないですか」と答えたところ,F課長は無言のまま立ち去りました。
    6月27日頃,私は,製品担当のK課長とS主務に会議室に呼ばれ,「P-DATまで日程がないから間に合わない,半透過製品のP-DAT開催のための会議を今すぐやってください」と,責められるようなきつい口調で言われました。しかし,このような体調で,P-DATの主催など,とてもできるはずがありません。私はF課長を呼んでもらい,「半透過のP-DATは私がやるとは決まっていない」と言いましたが,F課長は無言のままでした。そして,S主務が「重光さんがやるんでしょ」と言ったため,私は仕方なく,P-DATを開催するための会議を始めました。
    まずスケジュールが決められました。出荷の関係から,P-DATが一週間後の7月5日,その前に行われる,DR(レビュー会議)がその2日前の7月3日になりました。DRで関係部署から指摘された問題点を,P-DATまでに解決して承認をもらうので,DRとP-DATの主催の間は通常は1ヶ月以上,最低でも1週間は空ける必要があります。DRとP-DATの間がたったの1日というのは,Tさんが言っているように「異常なスケジュール」でした。こんなスケジュールで負荷の高いP-DATを行うのか,しかもこんなに体調が悪いのに,と嫌で仕方がありませんでしたが,1週間,必死に,半透過P-DAT業務を何とかこなしました。
  (2) P-DAT終了後,疲れが酷く,土日を入れて3連休で会社を休みました。
    連休明けに出勤し,私はF課長に,「体調が悪いので,リーダーの仕事ができない。反射関係で発生している問題のうちどれかひとつの項目を担当するような仕事にしたい」と言ったところ,F課長は,「わかった,その仕事だけの担当者にしよう」とその場で答えました。私は,課長がさすがにわたしの体調が悪いことを分かってくれたようで良かった,これからは楽になる,と思い,とてもほっとしました。
    しかし,半透過P-DAT業務を異常なスケジュールで無理をして行っていたため,体調の悪化は一層酷くなり,頭痛や不眠がひどくなって,この頃から毎日のように頭痛薬を飲むようになっていました。毎週欠かさず行っていたエアロビクスにも行けなくなってしまいました。
  (3) 業務が楽になると思いほっとしたのも束の間,F課長は,「反射の会議に出てほしい」,「反射でこういう問題が発生しているんだけど」,などと,これまでと全く変わらずに業務を課してきました。
他の部主催の会議に私とF課長が出席したとき,他部署の人が「この問題はどうなっていますか,重光さんが担当者ですか」と発言したので,私が即座に「違います」と答えました。しかしF課長は,「担当者が足りない」と述べ,その直後,私に「用があるから」と告げて,会議室から出て行ってしまいました。私は,「課長が部下の私に仕事を押し付けて出て行った」,そう思いました。課長のあまりにも無責任な行動が信じられませんでした。
  (4) 仕事を限定してもらったはずなのに,結局,反射製品のリーダーと負担は全く変わらず,F課長の言い方が多少遠慮がちになっただけでした。責任ある仕事には,体力と精神力が必要です。楽になれるとほっとした分,責任ある仕事を課された時の精神的苦痛は大きく,体調はとにかく悪化の一途でした。
    毎日会社に行くのがつらくてたまらない,どうしたら今の状態から抜けて出ることができるのか,反射製品のリーダーが具体的に決まっていないから私に仕事を振ってくるのではないか,具体的に反射のリーダーを決めればいいのではないか,そのように思っていた7月の第3週目,F課長は私に,「うつ病じゃないの?病院には行っているのか。その病院はちゃんとしたところなのか。週に2回行っているのか。管理者教育でそういうことには気をつけるように言われているんだ」と言いました。
    私はちょうどよかったと思い,「精神科には定期的に通って薬も飲んでいます。体調が悪くて仕事ができません。具体的に反射のリーダーを決めてください」と答えました。F課長は「わかった」と言って,その場で反射のリーダーをY主務に決めました。私は,よかった,これで楽になれる。私がうつ病だと認識もしてくれている,何かあったらリーダーのYさんに言ってくださいと答えれば良い,と思い,非常にほっとしました。
  (5) しかし,翌週の7月25日頃,私が体調が悪いため会社を休んでいると,F課長は私の自宅に電話をかけ,「勤務確定してないようだけど明日会社に来れる?」と聞いてきたので,私が「はい」と答えると,「明日製品主催の会議に出てほしい」と要請してきたのです。私は驚愕しました。体調が悪いと訴え,うつ病だとわかっていて,しかもリーダーを直接決めてもらったのに,どうしてその話をした翌週に,体調が悪くて休んでいる私の自宅に電話をかけて仕事の話をするのか。私に言わなくても新しいリーダーの人に言えば済むのではないか。何のためにリーダーを変えてもらったのか。その会議には誰が出てもいいのではないか。一体自分はどうすれば今の状態から逃れられるのか。強い絶望と恐怖の入り混じった状態で,もはや断る気力もなく,「はい」と答えざるを得ませんでした。
  (6) 翌日,会社に出勤したところ,製品担当者より電話で呼び出しを受け,「重光さんが出席するとF課長に言われている,来てもらわないと会議ができなくて困る」といわれ,仕方なくその会議に出席しました。どうか仕事がきませんように,と,びくびくしながら会議室にいました。ずっとこのような状態が続くのだろうかと恐怖心を抱きました。
  (7) その週の週末より夏期休暇で,7月28日から8月6日まで実家で過ごしました。帰りの新幹線の中で,楽しかった実家での出来事が頭の中をぐるぐる回り,何かおかしいと感じていました。寮に着くと,ひどく嫌な気分になり,8月7日に会社に行くと,会社にいることが嫌で嫌でたまらないと思うようになり,訳もわからず涙が溢れてくるようになりました。
    週末に病院に行き,医者に抗不安剤をもらったところ,「嫌で嫌でたまらない」といった気持ちは落ち着きましたが,体がとてつもなくつらい状態になっていました。今まで経験したことも無い,想像を絶する辛さ。あまりに辛くて,このような状態が続くならいっそ死んでしまいたいと思うほどでした。この頃から会社を休むまでこの間,どうして会社に行くことができたのか,自分でも不思議なほど,心身状態は悪化していました。
 4 M2ライン不良解析チーム
  (1) 夏休み明け,会社が嫌で嫌でたまらないと思うようになっていた頃,F課長は私の様子がおかしいと思ったのか,健康管理室に連絡しました。
 私が「体調が悪いので楽な仕事に変えてほしい」とF課長に頼んだところ,F課長はわかったと答えたので,これで少しはましになるかなと思っていました。ところが,翌週のお盆休み明けに出勤したところ,私は,緊急発足した「M2ライン不良解析チーム」のメンバーになっていました。
  (2) 一審判決は,このときに課された「M2ライン不良解析業務」は会社側が配慮したものだなどとしていますが,これは明らかな誤認です。
    M2ラインの立上げが無謀なスケジュールの中,自殺者を2名出しながらも遂行された大変なプロジェクトであったことは既に述べました。「M2ライン不良解析チーム」発足の会議の議事録(甲63)には,その「M2の垂直立ち上げの為」との記述があります。また,同議事録に,会議の出席者として複数の部の部長や課長が記載されているように,この対策チームは複数の課から集められてひとつのチームになっていたのです。これらのことからもわかるとおり,「M2ライン不良解析チーム」は,スケジュール上ではすでに立上がっているはずのM2ラインがうまくいっていないために発足した緊急対策チームだったのです。このような業務が大変であることは容易に想像できると思います。現に,毎日会議が行われていました。このように毎日行われる対策チームの業務が,楽であるはずがありません。
  (3) チーム発足の会議で,担当者を聞かれたF課長は,何も考えず,たまたま仕事を変えてほしいといった私の名前を出したとしか思えません。そこに,私の病気への何の配慮も感じません。
    F課長は,私の体調が悪いことを,「M2ライン不良解析チーム」のメンバーに告げておらず,同チームのメンバーは,私の体調に全く配慮することなく,普通に業務を割り振ってきました。F課長は,私の体調が悪いことを関係者に知らせていたという趣旨のことを述べていますが,それが事実と異なることは,労働基準監督署での同僚13名の調書で,私の体調が悪かったことを知っていた人が誰もいなかったことからも明らかです。私は,もはや断る気力など全く無く,ただ言われるままに仕事をしていました。
    幸い,発足した週の金曜日に主治医に「しばらく会社を休みましょう」と言われたため,休むまでの一週間,なんとかこの業務をすることができました。主治医が「休みましょう」と言ってくれていなかったら,私はきっと死んでいたのではないかと思います。

第5 産業医の対応
 1 平成12年12月にM2ライン立ち上げが始まり,平成13年2月ころから産業医による「長時間残業検診」を毎月受けていました。
   私は検診時に体調の不調を訴えましたが,産業医は何もしてくれませんでした。
   特に,反射製品に担当が変わり,12連休で休んだ翌週の検診では,「体調が悪くて一週間休みました」と訴えたところ,産業医が「課長は何て言ったの?今後の仕事について課長と話したんでしょ」と言ってきたので,私が「もう大丈夫だろうと言われて仕事を増やされました」と答えたのですが,産業医はしばらく無言の後,「まあ,一週間休んだということで」と述べて終わってしまいました。
   また,7月の半透過P-DAT業務の後にも,私は体調が酷く悪いと訴えました。産業医は,うつ病のチェックシートでチェックした後,「薬を飲んで治療した方がいいかもしれない」と言ってきたので,私が「もう精神科に通っている」と伝えたところ,それで終わってしまいました。
   結局産業医は,私の症状を改善するような業務軽減措置のために動くことは全くしてくれませんでした。産業医が今の過酷な労働環境を改善してくれるかもしれないと期待させて何もしなかった分,私に失望という苦痛を与えました。
 2 9月からの療養を会社から勧められたということは全くありません。
   確かに,8月に入り,健康管理室をしばしば訪れ血液検査を受けたりしましたが,業務への配慮は全く無く,体調は悪化の一途で,結局,外部の医師である私の主治医が「休職が必要」という診断書を書いてくれたおかげで,私は死なずに,地獄のような会社での生活から抜け出ることができたのです。

第6 平成13年9月以降の療養生活,つらい症状との闘い
 1 会社を休み始め,一週間寮で暮らしました。その間,それまで会社に行っていたことが信じられないほど,体が全く動かず,食事を買いに行くことも食べに行くこともできませんでした。
 私は,このままでは死んでしまうと思い,山口県の実家へ戻ることにしました。実家に戻るのもとにかく大変で,なかなか体が動かず,実家に辿り着かないかもしれないと思ったのですが,夕方になり体が動いたので,なんとか電車や新幹線を乗り継ぎ,何度も吐き戻しながら,夜中近くに実家にたどり着きました。
 8月に,医師は,「入院もありうる」と言っていました。私が実家に戻るときにはとても苦労しましたが,客観的に入院させる必要のある状態だったのだと思います。
 2 休職開始後2週間ほど経った頃から,症状は劇的に良くなっていきました。しかしそれでも,ただ横になっているだけでも辛くて耐えられない状態が,何ヶ月も続きました。
   ひどい頭痛,背中や肩のコリ,異常な疲労感,微熱による悪寒,睡眠障害,悪夢,5分も歩けば息が切れるほど疲れるような状態でした。冬には寒さから何度も風邪を引き,その度に症状が悪化し,あまりの辛さに,いっそ死んでしまいたいと何度も思いました。
 3 体調が回復していくにつれ,回復の速度はどんどん遅くなっていきました。今度は,「一体いつ良くなるんだろう」という,長期化した症状への焦りとの闘いが待っていました。もはや同世代の健康な人が当たり前のようにやっていることはできないのだろうか,いやいつかは良くなる,そう信じて,治療になると思われることは片っ端から試しました。裁判中という環境下で,体調が悪化している今,一日も早い療養生活に戻れることを願っています。

第7 周囲からの偏見
 この病気を患い,その症状も辛いのに,私をさらに待っていたのは,周囲からの精神疾患への無理解や偏見でした。
 病気になったのは性格に問題がある,怠けている,仕事をしないで楽して手当をもらっている,こういった周囲からの偏見や無理解に悩まされるようになりました。理解してくれるのは医者だけ,そう思って一人で治療に励んでいました。裁判をすることになり,周囲もようやく私が怠けているわけではないということは理解してもらえましたが,残念ながら,精神疾患への世間の偏見は根強いものがあり,裁判で業務上と認められてもなお,世間からは偏見の目で見られることが多々あります。  

第8 平成13年10月と平成14年5月の職場復帰について
 1 私は,平成13年10月上旬1週間と,平成14年5月13日の半日に職場に戻りましたが,このときのF課長の言動は私に全く配慮を欠くものでした。
 2 平成13年10月の時には,産業医との面接や復帰後の業務について,きちんとした話し合いはなく,復帰2日目にして,課の代表という負担の重い業務の担当をさせられました。私は,症状が悪化し,再び療養することになりました。
 3 平成14年5月の時は,私は職場を変更してほしいと告げたのに,会社はこれに全く応じてくれませんでした。会社の言う,「定期的な上司との面接」は,全く行われませんでした。産業医やカウンセラーとの面接も1回程度しかなく,定期的には行われませんでした。
   復帰の初日,私は,体調との関係から,しばらくは誰かの手伝い程度の仕事をしたいとも申し出ましたが,上司は「ずっと席に座っているつもりか」などと述べました。
   帰り道,私は,「このまま会社に行って大丈夫だろうか,体調が万全ではないのにまた休職前のように会社が誰に振って良いかわからない業務を私に振ってくるのではないか」と思うと,不安でたまらない状態になり,症状がさらに悪化しました。

第9 平成16年5月以降の職場復帰プログラム
 会社は,「メンタル不調者の職場復帰プログラム」に基づいて私の職場復帰に向けて努力をしたなどと主張していますが,努力どころか,私の症状を悪化させるひどい対応で,一体どこが「職場復帰プログラム」なのか,理解に苦しみます。
 私は,平成16年6月16日と同月25日,総務と打合せをした際に,「職場復帰できない」「労災にして欲しい」と伝えてあり,同月25日に産業医に面接した際にも伝えてありました。しかし会社は,同日,「7月23日に解雇通知を渡す」と私に言ってきたのです。
 私の主治医も,会社に対して「遷延化した抑うつ状態にあり,今後も長期的な治療が必要と考えられる」と意見を述べており,その意見書を7月15日に産業医に手渡しています。
 会社は,解雇すると言っておきながら,その後も,私から半ば強引に了承を取って,私の実家に何度も電話をかけてきました。このような態度は,職場復帰についての話し合いとは言えません。私は会社から怠け病と思われているように感じ,非常に苦痛でした。
 後から会社が行った不適切な行動を正当化して,「復帰に向けての努力」などと言っているにすぎません。

第10 会社のした解雇の悪質さと私の症状の悪化
 1 私は,平成14年1月ころ,庶務担当から傷病手当の申請用紙を手渡された時に,私の病気は私病ではなく労災ではないかと申し出ました。
   すると,F課長とK部長は,私を会議室に呼び出し,「労災だと会社を訴えることになる」「労災と軽々しく言うんじゃない」などと言い,労災申請に間違った情報を与え,非協力的な態度を取りました。
 さらに,その後,私が自宅で療養中にF課長が電話をかけてきてました。私が電話に出ると,F課長は,「労災申請を考え直して欲しい」「労災になると会社が倒産するかもしれない」「(労災申請をすれば)たくさんの人が不幸になる」などと述べて,私に労災申請をさせないように話をしてきました。
 平成16年3月26日,私はY課長に,「休職期間が切れるまでに復帰の目処が立たないので労災と認めて欲しい」と話しましたが,約1ヶ月が経過した4月23日,Y課長は「労災と休職は違う」と回答してきました。さらに,6月16日と25日に総務課課長も含めて話し合いをしましたが,会社は「労災にあたらない。9月9日までに復帰しなければ解雇になる」の一点張りで,7月23日に解雇通知を渡すと言ってきました。
 私は,労災に協力しない会社側の対応に,不安に襲われました。
 2 私は,平成16年7月29日に女性ユニオンに加入し,会社に団体交渉を申し入れました。それなのに,会社は「9月9日付けで解雇する」旨の内容証明郵便を送付してきたのです。
 8月18日と同月27日に団体交渉を行いましたが,会社側は具体的な事実関係に触れずに,「業務上災害ではない」と繰り返すばかりで,話し合いは進展せず,事実上打ち切りになりました。また,会社側は業務関係等の資料の開示を一切拒否してきました。
 その後,会社側は,9月2日に,甲1号証の「勤務実績証明書」を,女性ユニオンを通さずに,寮長から私に直接手渡してきました。「証明書」に記載された時間外労働時間数は,私の勤務実態と違って,法定労働時間外労働時間として残業時間を大きく減らし,またその計算方法も誤りがある,わざと少なく算出したものでした。会社側は,この「証明書」を手渡してくることで,私が労災申請を断念するようにし,労災隠しを行おうとしたとしか思えません。
 私は,9月6日に,東京都労働委員会に対し,あっせんを申請しました。会社側はこのあっせんに応じ,第1回目が9月15日に行われることになっていました。また,私は,弁護士に依頼し,9月7日付けで,会社に対して解雇を行わないよう内容証明郵便を発送し,翌8日に熊谷労働基準監督署に対して労災申請を行いました。
 このように私が会社との間で交渉を進めている最中だったのにもかかわらず,会社は9月9日付けで解雇通知の内容証明郵便を私に送り,しかも,13日14時に退職手続のために来社するよう通知してきたのです。
 業務に起因する精神疾患で療養中の私に対し,違法な解雇を,しかも交渉中に行うなど,会社の行ったことは,まさに嫌がらせ行為としかいいようのないものでした。東芝という大企業がこのような行為を行うことが信じられず,精神的にショックで不安感が強くなり,私にとって非常にストレスとなり,体調が非常に悪化しました。薬の処方も「デパス」を飲むようになりました。
 9月13日に,女性ユニオンから会社に対して,不誠実な対応を改め,都労委のあっせんにて問題解決を図るように強く申し入れる旨の抗議文を発送しました。

第11 解雇通知後の会社の私に対する態度
 1 会社は,違法無効な解雇をしたうえに,私に対して,平成16年9月9日,退職のための手続の書類一式を送ってきました。さらには,10月6日付で,寮の明渡しを求める内容証明郵便を送付してきました。
   その後も,この裁判で,会社側の代理人弁護士が,退寮を求めてきました。
 解雇の無効を争い,そして精神疾患で療養中の私に,生活の基礎である寮を明け渡しを求めてくるなど,まさに嫌がらせとしか言いようがありません。
 2 平成16年10月22日からは,寮の寮長が,会社からの内容証明郵便や書留によって送付されてくる書類を,直接私の部屋まで持参し,部屋の扉をノックして私をわざわざ呼び出すなどの嫌がらせを始めました。
   書留は,寮長が受け取り,「書留が届いています」というメモを郵便受けに貼り,受け取りに行くシステムになっています。それまで寮長が私の部屋まで書類を持参し私を呼び出すことはありませんでしたし,直接持参する必要もありません。このようなことを,裁判の期日の前日に行ったりするのです。
 私は寮長に対し,「書類を部屋まで持って来ないでください」と断り,寮長は「わかりました」と承認しましたが,寮長による書類の持参は,その後も続きました。寮長に対してなぜもってくるのかと聞くと「会社から持って行くよう言われた」とのことでした。私が寮長に対し,「持ってくる理由を説明してください」と言ってからは止まりましたが,明らかな嫌がらせであり,非常にストレスで,裁判のたびに,私の症状は悪化の一途をたどりました。
 3 裁判が始まってからも,会社側は一貫して私のうつ病の業務起因性を否定し,反省もなく,不当な主張や事実に反する証言などを繰り返し(会社の主張・証言がいかに不当であったかは,一審判決や行政訴訟の判決が会社側の主張をほとんど認めていないことからも明らかです),訴訟の引き延ばしを図ってきました。5年前の就業規則が見つからないなどと,提出に5ヶ月もかけました。
 さらには,私が業務関係の資料を書証として提出したところ,会社側の代理人弁護士が,私の目の前で「懲戒処分も考える」とさえ述べたのです。しかも,会社側は,自らも「社外秘」であるはずの業務資料を証人尋問の日にその場で乙号証で提出していますから,主張が明らかに矛盾しています。精神疾患を患っている私に対する威嚇行為,嫌がらせ行為であることは明らかです。
 このような,裁判での会社の徹底した威嚇,嫌がらせ,引き延ばし行為に,私の症状は悪化し,抗うつ剤(トレドミン)が増量となったり,睡眠薬も強いものに変更となったりしました。
 4 一審判決後,会社は即日控訴し,2000万円を裁判所に納め,強制執行停止を申し立てました。しかし,控訴審では,和解に応じるような対応を見せました。
   1年後,同時に進行していた行政訴訟(労災不支給処分取消訴訟)で勝訴し,私の労災が認定された後も,会社は,労災保険が出ないと検討ができない等々主張して和解せず,結局,行政訴訟から1年,控訴審が始まってから2年も経って,和解できないと回答しました。
   即日控訴,強制執行停止申立て,2年も経っての和解決裂など,会社の行っていることは,裁判を長引かせ,病気で収入のない私を弱らせて,裁判を有利に持ち込もうとしているとしか思えません。このような弱い立場の労働者の人権を無視しているともいえる,圧倒的に強い立場にある会社の,裁判でのこのような行為は,社会的に非難されてしかるべきです。

第12 上司が私にした悪質なパワハラと私の深刻な症状
 1 会社では上司の力は当然強いものです。会社から給料をもらい,生計を立てている以上,当然です。私は,上司に対して,できることとできないことをきちんと説明してきました。しかし,M2ラインの立上げ業務では,私の書いたスケジュールは無視され,適切な助言や指導もないまま,強制的に働かされることで,強いストレスを受け,それが一番の原因となって,長時間過密労働と相まって,うつ病を発症しました。
 2 反射製品担当以降でのF課長の対応は,全く話にならないほど酷い対応でした。F課長が私にしたことは,書類の担当者欄に私の名前を書くことです。業務に関する説明もなく,業務ができないと私が断ったのを了解しながら,担当者欄に勝手に私の名前を書く。上司としての権限を利用した部下への明らかな嫌がらせです。F課長が勝手に私を担当者にするので,私は周囲の同僚から「重光さんが担当になっているのに仕事をしない」と言われ,責められたり,冷たい態度をとられたりしました。同僚のそのような冷たい対応が,既にうつ病を発症した状態の私に,針のように突き刺さってきて,私の体調は悪化する一方でした。
 3 特に,私が体調の悪化を訴えて以降のF課長の態度は,管理者として無責任極まりない嫌がらせ行為です。
   体調が悪いのでできないと訴えたために,無言で立ち去り,他の課長から呼ばれて強制的に行わされた半透過P-DAT業務,会議で部下である私に仕事を押し付けて会議室から去る行為,うつ病と訴え,反射業務のリーダーを具体的に決めたのに,翌週体調不調で休んでいる自宅に電話して会議出席を強制するといった数々の嫌がらせなど,その上司として無責任すぎるパワハラ行為は,私の心に深い傷(トラウマ)を作り,私は今でもその傷からさまざまな症状の後遺症に悩んでいます。
 4 会社を休んで何か月か経ち,体調が良くなってくると,元の職場に戻ることを考えるだけでぞっとし,死んでしまいたいと思いました。事務手続で会社に行った時,かつての同僚に会うと,私はしばらくはその同僚たちと会話をすることができず,軽く礼だけしていました。何年も,会社のそばを通るだけで気分が悪くなりました。今も,会社に復帰する事を考えただけで不安定になります。F課長とは今も会話ができる自信はありません。
 5 一審の証人尋問では,主尋問・反対尋問共に,私は言いたい事が言え,気持ちよく終わらせることができました。続くF課長の証人尋問では,F課長が目の前で大嘘をついているのを聞いているうちに,いつの間にか記憶が曖昧になり,数日間不思議な世界をさまよった後,証人尋問の記憶自体がなくなってしまい,体調が大きく悪化し,回復に一年以上かかりました。それは非常に不思議な体験で,まず自分の意識がねじれる様な自分が誰なのか良くわからないような感覚が数日続き,証人尋問の記憶をねじれさせて意識の外に飛ばしていたような感じで,通常の人は絶対に経験しないであろう経験でした。医者に話したところ,「それは解離症状で,忘れる必要が有ったから体が忘れたんでしょう」と言われ,「とにかく当時のことは絶対に想い出さない事,それが治療だ」と言われました。あまりに不思議で深刻な症状に,「解離症状」が起きたこと自体が今でも信じられない気持ちです。
 つい最近は,裁判直後にひどく不安定な状態になり,寮にいる東芝社員と話をしているうちに思考がどんどんおかしくなり,「私は東芝にはめられて,犯罪者に仕立てられてしまった,世界中の人が私を襲いに来る」と本気で思い込み,警察に「私を保護してください」と駆け込むという,これまた信じられないような「妄想」という経験をしました。自分で制御が全く不可能な状態に陥った事が未だに信じられません。この先,普通の社会生活が送れるほどに体が回復するのか,非常に不安を感じています。

第13 東芝の社会的責任
 東芝は,「人と地球の明日のために」をスローガンに掲げている,日本を代表するような,社会の模範となるべき優良企業(のはず)です。
  東芝は,「社会・環境活動(CSR)」として,「東芝グループは従業員の安全と健康の確保を経営の最重要課題の一つに位置づけています」「東芝グループの役員・従業員の行動規範として,個人の多様な価値観・個性・プライバシーを尊重し,人種・宗教・性別・国籍・心身障がい・年齢・性的指向などに関する差別的言動や,暴力行為,セクシャルハラスメント,パワーハラスメントなど,人格を無視する行為をしないことを明示しています」とウェブ上で広報しておきながら,実際には全くこれに反し,安全配慮義務違反・注意義務違反を犯し,悪質なパワーハラスメントを行い,裁判では虚偽の主張や引き延ばし,虚偽の資料の提出,引き延ばし,嫌がらせ行為まで行い,そして,適切に判示した一審判決も認めずに即日控訴,強制執行停止申立てを行い,控訴理由書の提出期限も守らず一審同様の主張を繰り返し,さらには,和解の応じるような態度を見せながら,控訴から2年経って和解を決裂させるような行動をとっています。これが,社会的責任を担うべき大企業の裁判での対応なのかと思うと,全く信じられません。労働者は人間ではないと,東芝が言っているようなもので,自ら掲げているCSRに反した東芝の対応には,怒りと失望を強く感じています。
  
第14 最後に
 私が業務でうつ病を発症し休職してから,9年近くという長い年月が経ちました。発症したときに私が会社から受けた苦痛は耐えられないほど大きなもので,今でも,あまりにも辛すぎた当時の事を思い返して,涙が止まらない時があります。そして9年近く経った今もなお,私は不安感,睡眠障害,疲労感といった症状に苦しめられ,外出もままならず,一日のほとんどを寝て過ごしています。それどころか,裁判中に「解離」や「妄想」といった,通常の健康な人では説明が出来ない深刻な症状も体験し将来の生活に不安を抱いています。
 さらに,裁判では勝訴してなお,周囲からの精神疾患への根強い偏見を感じており,その状態で生きていくことは非常に辛いです。
 9年間,治る目処も立たず,将来の展望も描けない,人生を壊されたと言っていいほどの苦痛を会社から受けました。
 本当は,倒れる前の状態に戻りたい,せめて健康な体になり,普通の生活を送りたい。しかし,それができない今,私が受けた苦痛や失ったものがどれだけ大きいものかを表す慰謝料の金額が,一審の認めた200万円では,明らかに低額です。控訴審においては,私が受けた苦痛に対する慰謝料額を,公平に判断していただきたいと切に希望しています。
以上





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