東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判・控訴審

平成20年(ネ)第2954号 解雇無効確認等請求事件

東芝産業医意見書

 
                                      平成22年9月15日
             産業医(精神科医)としての意見陳述書

                    株式会社 東芝 人事・業務サポートセンター
                     産業医 I
                          O

1.はじめに
 本意見書は、精神科を専門とする産業医として、以下のとおり、株式会社東芝(以下「当社」という)のメンタルヘルス対策及び本件における業務起因性の判断等について意見を述べる。

2.当社のメンタルヘルス対策について
 当社は、従業員が健康で快適に働けるよう、メンタルヘルス対策について、従前からきめ細かい対策を講じているところ、別紙記載のとおり、1998年度以降から、従業員本人への啓発教育や管理職に対する教育の実施、非常勤精神科医・カウンセラーの雇用、外部医療機関との連携などを実施し、さらに2000年度以降は次々と施策の充実を図った。特に、2006年3月に厚生労働省が発表した「労働者の心の健康の保持増進のための指針」で取り上げられている「4つのメンタルヘルスケア」(@セルフケア、Aラインによるケア、B事業場内産業保険スタッフ等によるケア、C事業場外資源によるケア)について、4つの項目それぞれについて、当該指針が発表される以前から、早期に各種施策を展開している。
 また、当社は、メンタル不調による休職者の円滑な職場復帰を支援する「メンタル不調者の職場復帰プログラム」を2003年11月にスタートしたが、厚生労働省による「心の健康問題により休職した労働う者の職場復帰支援の手引き」が公表されたのはその後の2004年10月であり、当社ではそれに先んじた形で施策を導入・運用したのである。
 このように、当社では、メンタルヘルス対策について、国の指針等を上回る内容にて早期から率先して実施しており、少なくとも重光氏が疾病を発症されたとされる時点に於いて、当社は全国の企業の保険業務の平均的水準を上回るメンタルヘルス対策を実施していたことは確実である。当然ながら、当社で実施しているメンタルヘルス対策は全事業上で共通して取り組んでいる内容であることから、本件当時の付加や事業所におけるメンタルヘルス対策も、同等の高い水準で実施されていたものである。

3.業務起因性の判断について
(1)重光氏が羅患とされるうつ病についての「業務起因性の有無」が本件の主たる論点の一つであると理解しているが、精神科医の立場から言えば、業務に起因してうつ病を発症したのであれば、その原因とされる業務から離れることによって回復するのが当然であるところ、重光氏は、業務から離れて9年も経過しているにもかかわらず、未だに回復していないということである。この事実は非常に重要な点であり、重光氏が発症したとされるうつ病が業務に起因して発症したものではないということが業務から離れた時間の経過によって明らかになったというべきと考える。
 ここで誤解の無いように、細くとして述べておくが、PTSD(外傷後ストレス障害)の名称を用いて、いったん受けたストレスがその原因から離れた後にも持続するということで精神疾患を主張する場合があるが、本件の場合、絶対にこれには当てはまらない。PTSDを引き起こすストレスになり得るのは、戦争や噴火、津波、大地震、傷害事件、強姦などの重大な災害・事件であり、いわば九死に一生を得るという特異な経験をしたものが羅患するものであって、一般の対人関係(たとえば失恋や喧嘩)、業務負荷の超過という程度のストレスでは起こり得ないものである。
(2)ここで、重光氏に対するうつ病との診断の問題点についても触れておきたい。
 診断は、非常に流動的な一面を持つものであり、そこで大切なことはその後の治療がどのように行われたかである。
 例えば、気分障害を疑われる患者が来院した場合、まず採血を行い、「身体の病気」で気分障害を起こす疾病を除外していくのが一般的な手法である。このような症状を呈する病気としては、甲状腺機能異常や副腎皮質機能異常、神経梅毒などといったものが挙げられるが、これらは採血によって簡便に除外できるもので、第一の除外診断である。今回の裁判資料にも甲状腺機能の以上に関して、コレステロール値との関係性を書いた文章が一部見受けられたが、採血などの検査の場合、直接そのデータを明示して、除外できるのか否かを紙面上で簡単に指し示すことが出来る。
 しかし、本件の場合、残念ながら、当時の初診時にこれら項目について採血などを行っておらずこれは初診時の精神科医の診察としては問題であると考える。初診時に採血をすることは、医師免許を取得した場仮の研修医でも学ぶことであり、このような除外診断をせずに気分障害の議論に入ることは非常に問題がある。
(3)また、治療過程及び疾病重症度というのは、国際的に認められた重症度評価尺度における点数に基づいて判断されるべきで、その本人の弁や主治医の印象などから判断していたのでは、客観的な判断とはいえない。
 現在小職が日常的に臨床業務の中で行っている重症度評価について述べれば、「気分の変動」の重症度に関してはHAM-D(Hamilton's rating scale for Depression)によって約1カ月おきに他覚的(医師による評価)に、またBDI(Bech's Depression Inventory)もしくはPHQ-9(Patient Health Questionnaire)によって自覚的(患者本人による評価)に重症度を評価する。初診時にはCES-D(Center of Epidemiologic Studies Depression scale)を用いて、まず自己評価上のうつ状態のチェックを行う。「適応障害」も含めて「パニック障害」「全般性不安障害」「社会不安障害」など不安障害もしくはその周辺疾患に該当する場合にも備えてSTAI(State-Trait Anxiety Inventory)を用いて不安の重症度を自己評価し、場合によってはHAM-A(Hamilton's rating scale for Anxiety)を用いて他覚的に評価する場合もある。「パニック障害」などの特定の疾患が強く疑われる場合にはPDSS(Panie Disorder Severity Scale)等を用いて評価を行い、例えば「うつ病」は回復しているが、会社に戻るには適応の問題があるなど「症状と適応能力」に問題点があると感じた場合にはSASS(sosical adaptatin self-evaluation scale)を用いて評価を行う事もある。
 しかし、本件の場合、うつ病を発症したとされる平成13年4月以降、現在に至るまでの9年間余りの間に、上記の評価尺度による重症度の評価のどれ一つをとっても行われておらず、問題である。少なくとも平成17年4月6日の天笠崇医師との面談の際に、その時点での病状の評価をするべきであったと考えるが、全くされていない。唯一認められるのは、M.I.N.I.を用いて評価している点であるが、これはスクリーニングの手法であって、重症度の評価尺度ではない。
 このように、重光氏について重症度評価尺度がこの9年余りの間に一度も用いられておらず、そのため、重症であったのか、回復したのか、現在の症状はどの程度であるのか、全てにおいて判然としないことになっている。

4.本件における産業医の対応について
 O医師は、その医学意見書(乙39号証)4頁において、「平成13年の数回に渡る検診に際して、本人が産業医に対して神経科クリニックに受信中であることを告げていれば、産業医の対応も変わっていたであろう。との意見を述べているが、私も同意見である。
 H神経科クリニックの診療録等によれば、重光氏は、平成12年12月に同クリニックを受診し、神経症と診断され、「デパス」の処方を受け、その後も同クリニックに平成13年4月11日、5月11日、6月8日、6月15日、6月29日、7月13日、7月27日に通院し、その間、当初の「神経症」の診断が継続していた。仮に、重光氏が、産業医との面談の際に、その事実を申告していれば、たとえ当時の産業医が精神科の専門医でなかったとしても、何らかの対応をしていたことは事実であり、それは医師として当然のことである。精神疾患というのは、本人からの訴えがなければ専門医であってもそれを見抜くことは至難の業であり、本人である重光氏から訴えがない状況の中で、当時の産業医において同氏の精神的不調を疑うべきとは到底言えず、気付くことができなかった産業医を責めることはできない。
 重光氏は、会社所定の健康診断を受診した際、「頭痛がする」、「よく眠れない」等の自覚症状を訴えていたようであるが、この自覚症状であれば誰でも経験する類のものであって、これをもって、産業医が重光氏について特段の就労を必要としない「A1」との総合判断をしたことはごく一般的な判断である。
 なお、処方薬について言えば、重光氏は、平成12年12月にデパスを処方される以前にも、Y医院に受診した同年7月3日及び8月9日の両日において、「デパス錠」「セデスG」並びに「セルシン錠」が処方されているが、この「セルシン錠」は、「神経症における不安・緊張・うつ状態」、「うつ病における不安・緊張」、「心身症(消化器疾患、循環器疾患、自律神経失調症、更年期障害、腰痛症、頸肩腕症候群)における身体症候並びに不安・緊張・抑うつ」の症状に対して処方される向精神薬であり、同氏が同年7月以前の段階で、精神疾患を発症していた可能性も否定できない。
 以上のとおり、当時の産業医の重光氏に対する対応に非難されるべき点は何もないと考える。仮に重光氏がH神経科クリニックを受診していた事実を産業医に伝えていれば、今回の結果も変わっていた可能性が高く、その点は非常に残念である。

                                                  以 上


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