東芝・過労うつ病労災・解雇裁判

 
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 労災申請するまで
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 3.団体交渉
 4.労災申請・解雇
 労災申請してから
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 再審査請求
 9.再審査請求提出

労災申請・解雇

労災申請するまで (2)
3.団体交渉

● 2004年7月29日Wユニオンに加入  (2005年Wユニオン脱会)
  会社に「団体交渉申し入れ書」を送付 

組合費月2000円。これで会社と交渉してくれる。弁護士に頼むと十万位かかると思うと、安い!と思いました。会社の組合は、何もしてくれないのに組合費5000円お給料から天引きされます。
「団体交渉申し入れ書」を会社に送付しましたが、組合と会社との団体交渉、こういうことができるとは、10年以上会社の組合員だったのに、何も知りませんでした。
注)Wユニオンは2005年11月6日に退会

● 2004年8月6日 会社から解雇通知「9月9日休職期間満了で解雇します」

● 2004年8月18日 Wユニオン 第1回団体交渉

自己紹介程度で、1時間程度で終わりました。「なぜ業務上で無いのか」との問いには「長時間残業者用の定期検診を行っており、産業医が「業務上でない」と診断した」、との答えでした。
業務内容に関しての質問については、「M2PJドライ工程のリーダーをしており、その後新製品の開発を一人でしていた。」と回答がありました。「開発責任者ですけど」と言うと、驚いた顔で「他にもメンバーがいたんですか」と総務の人たち。
当時の担当課長Fが、私の業務内容について、総務に本当の事を言っていない、そう感じました。総務も、課長の言葉を鵜呑みにせず、きちんと状況を調べるべきです。こんな程度の調査で、私の病気は業務外と決定されたのでしょうか。
この日は、労災申請書類を会社側に提出し、会社からは「書けるところは書く」と回答がありました。

信じられないことに、F課長は、私が労災申請のため当時の業務の資料の収集するのを妨害してきました。部下を病気にしておきながら、その部下が解雇されたらどう生きていいのかわからない状態になっているにもかかわらず、そんなに自分の出世が大事なのでしょうか。F課長には、部下(人間)の健康と自分の業績、どちらが大切なのか良く考えて欲しいものです。

● 2004年8月27日 Wユニオン 第2回団体交渉

会社側は「業務上でない、平行線です」を繰り返すのみで、延々3時間半、話し合いにならず、事実上団体交渉は打ち切りになりました。
会社が業務上でないとする理由の、産業医が業務上でないと診察した「カルテ」の開示は拒否。その他タイムカードの提出、業務に関する資料の提出等、全ての資料の提出を拒否しました。
1回目の交渉で提出した労災申請用紙には「業務起因性は無い」と言う書類が添付されもどってきました。「たちが悪い会社だ」と一緒に交渉してくれたWユニオンのTさんが帰り際に言っていました。

● 2004年9月2日 会社より「勤務実績証明書」を手渡しされる

突然寮長から、「勤務実績証明書」を手渡しされました。それによると、私のタイムカード上の時間外・残業(80時間〜100時間)は、法定労働時間に換算すると約30時間減るそうです。しかし法定時間(週40時間)と、会社の所定労働時間(週38.75時間)との差は月にしても約5時間程度にしかなりません。どういう計算をするとこの資料の数字になるのでしょうか。会社は、何を考えて、この資料を突然手渡したのでしょうか。

● 2004年9月6日 東京都地方労働委員会にあっせん申請

会社側があっせんに応じ、9月15日に話し合うことで会社と合意  

● 2004年9月7日 弁護士より「労災申請するので解雇しないよう」会社に通知

労災申請手続き・地位保全(解雇無効)・損害賠償請求について弁護士に委任すると契約。3つの案件を依頼したためか、着手金100万以上で、意外と高くてびっくりしました。(HPによると解雇裁判の場合弁護士料約30万円でした)
弁護士に相談したらすぐに契約となりました。弁護士がこの裁判に乗り気であると感じたのは気のせいでしょうか。
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4.労災申請・解雇・嫌がらせ

● 2004年9月8日 熊谷労働基準監督署に労災申請

次の2つの申請書を弁護士と提出に行きました。(労働基準監督署は相変わらずお役所対応でした…。)
  ・「療養補償給付たる療養の費用請求書(7号)」 (治療費の請求)
  ・「休業補償給付支給請求書(8号)」 (休業中の賃金の80%を請求)

● 2004年9月9日 会社より解雇通知が届く(嫌がらせの開始)

まだ、会社と交渉中です。さらに通知には「9月13日に退職手続きに会社に来てください」と記述されており、9月15日の都労働委あっせんに応じると言っておきながら、それを全く無視した対応です。
弁護士から「変な会社だと嫌がらせがあったりするが”天下の東芝”だから、嫌がらせは無いだろう」と言われたのですが・・・。東芝が、どうしてこの様ないやがらせをするのか本当に信じられず、体調が大きく悪化しました。この日以降毎日安定剤を飲むようになりました。 

 ★参考 (画像をクリックすると拡大します)
9月9日付け内容証明で送られてきた解雇通知
「9月13日に退職手続きに来てください」と記述、9月15日の都労働委員あっせんを無視した内容(嫌がらせ)
上の解雇通知(嫌がらせ)に抗議して9月13日にWユニオンより送った申入書
(注:Wユニオンは現在退会)
 

● 2004年9月15日 10月5日 都労働委あっせん不調

都労働委員会によるあっせんが行われましたが、東芝の態度は変わらず、「労災ではない、休職期間満了による解雇です」でした。結局、裁判で争う事になりました。
都労働委員会は都庁34Fにあり、見晴らしがいいところでした。

● 2004年10月22日 寮長が会社の資料を部屋まで持ってきて
                 出てくるまでノックをし始める

嫌がらせです・・・・。裁判提訴したらしばらくは何もなくなりましたが、第1回弁論準備裁判(2005年3月10日)頃から、また、寮長が書類を部屋まで持ってくるようになりました。「なぜもってくるのか理由を説明して欲しい。理由によっては相応の対応をする」と言ってから持ってこなくなりました。
 ★参考 寮長が部屋まで持ってきた書類(画像をクリックすると拡大します)
 左側 2月25日作成 12月・1月の寮費の領収書
 右側 3月8日作成(裁判日前日に寮長が持ってきた) 2月の寮費の領収書
寮費領収書2月25日 寮費領収書3月8日


これ以降は、労災申請してからに続く

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