東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判・上告審

平成23年(受)第1259号 

答弁書


東芝より、 2月12日付けで、答弁書が届きました。全19ページ、徹底抗戦の内容でした。
以下、全文です。



事件番号  平成23年(受)第1259号
上告人    重光由美
被上告人  株式会社東芝


                    答  弁  書  

                                      平成26年2月12日

最高裁判所第二小法廷御中

                           第一協同法律事務所(送達場所)
                          被上告人(一審被告)訴訟代理人
                            弁護士    山  西  克  彦
                                    伊  藤  昌  毅
                                    峰     隆  行
                                    山  畑  茂  之 
                                    平  野     剛 

 上記当事者間の御庁頭記事件について、被上告人(一審被告)株式会社東芝(以下「一審被告」という)は、以下のとおり答弁する。

                 [上告の趣旨に対する答弁]
1 本件上告を棄却する。
2 上告費用は上告人の負担とする。
 との判決を求める。



         [上告受理申立て理由に対する反論]
第1 はじめに
1、上告人(一審原告)(以下「一審原告」という)は、本件の控訴審裁判所(東京高裁平成20年(ネ)第2954号解雇無効確認等請求事件)が平成23年2月23日に言い渡した判決に対して上告受理申立てを行い、平成23年5月9日付上告受理申立理由書を提出した。
 平成26年1月15日、御庁は、一審原告の上告受理申立理由について、上告受理申立理由書第4ないし第8を除く部分は重要でないと認められるとし、当該部分を排除した上で本件を上告審として受理する旨の決定を行った。
2、当該決定により、本件は上告審である御庁に審理されることとなったが、その審理の対象は、原判決の「過失相殺及び素因減額」に関する判示(原判決56~58頁)、及び「損益相殺」に関する判示(原判決59~62頁)の2点である。
 しかし、原判決のいずれの判示についても何ら誤りはなく、一審原告の主張は理由がないことが明らかである。以下この点について述べる。

第2 過失相殺及び素因減額について
1、原判決の判示
(1)原判決は、損害賠償請求における過失相殺及び素因減額として、次のとおり判示した(原判決56~58貢)。
「(イ)過失相殺及び素因減額
 第1審被告は、第1審原告において、前記認定のとおり、平成12年12月13日及び平成13年4月11日にH神経科クリニックを受診し、上記12月の診療では神経症と診断されデパス錠の処方を受け、上記4月の診療では、受診、不眠、焦燥感、不安感、抑鬱気分を訴えるなどしていたのであるから、このことを第1審被告の産業医や上司に申告しなかったことが、第1審被告において、本件鬱病の発病を回避する措置をとり、又は増悪の防止措置をとる機会を失わせる一因となったとして、過失相殺すべきことを主張する。第1審原告が上記の現実に生じている体調不良を申告しなかったことは、診断に係る病名、処方された処方薬、主訴に係る症状から見て、第1審被告が申告を受ければ1審原告の業務量を軽減したものと考えられる。そうすると、第1審原告の対応は、第1審被告において、本件鬱病の発病を回避したり、発病後の増悪を防止する措置をとる機会を失わせる一因となったといわざるを得ない。この点、確かに、労働者として、使用者による自らに対する考課に影響を与えかねない申告であることは否めないが、損害の公平な分担という見地から見れば、過失相殺をすべき事情であると言わざるを得ない。
 また、前記認定のとおり、第1審原告は、入社後、慢性的にひどい生理痛を抱えていたことが窺われ、平成12年6月ないし7月には、慢性頭痛(筋収縮性頭痛)との診断名で、抑鬱、睡眠障害にも適応のあるデパス錠、神経症における抑鬱に適応のあるセルシン錠の処方を受けていること、同年12月には、第1審原告の頭痛、不眠(寝付きが悪く、朝早く目が醒める。)、仕事の途中で車酔いしたような感じが出たりするとの主訴に基づき、神経症と診断され、デパス錠の処方を受けていたことに加え、精神医学上、一般的には6か月から1年程度の治療により治癒する例が多く、精神疾患が寛解するまでの期間に個人差があることを考慮しても、業務が精神疾患の原因であり、その業務を離れて治療を続けながら9年を超えて、なお寛解に至らないという事態を併せ考慮すると、本件鬱病の発病及びその後の寛解に至らない状態については、本件鬱病の発病につき業務起因性の認定を妨げるほどに重いものではないが、業務外にも発病を促進した因子又は寛解を妨げる因子が存在するという個体側の脆弱性が存在したものと推認せざるを得ない。この点、第1審原告は、前掲の最高裁判所平成12年判決を引用し、本件における素因減額を否定すべきものとするが、上記の第1審原告側の事情の考慮は、第1審原告の性格を取り上げるものではないし、頭痛や生理痛自体を取り上げるものでもないのであって、第1審原告の主張は理由がない。
 上記の本件鬱病の発病及びその増悪に寄与した諸事情は、民法418条(及び722条2項)の定める過失相殺に当たりしん酌すべき事情又は上記の規定を類推適用して斟酌すべき心因的な事情であり、これらの諸事情をしん酌し、第1審被告において賠償すべき損害の額を全損害額の8割と認めるのが相当である。」
(2)以上のとおり、原判決は、①一審原告が現実に生じている自身の体調不良を申告しなかったことが一審被告において、本件鬱病の発病を回避したり、発病後の増悪を防止する措置をとる機会を失わせる一因であると認められること、②業務外に本件鬱病の発病を促進した因子又は寛解を妨げる因子が存在するという一審原告の個体側の脆弱性が存在したものと推認せざるを得ないと判断し、これらの事情は過失相殺及び素因減額としてしん酌すべき事情に当たるとして損害額から2割の減額を認めたものである。
 本件において過失相殺及び素因減額を認めた原判決の上記判断は、正当であり何ら誤りはない。以下、一審原告の主張に対して反論を行う。

2、体調不良の不申告の点について
(1)一審原告は、「一審原告は、頭痛、肩こり、不眠等の症状から、平成12年6月に一審被告の産業医、同年7月にY医院、そして同年12月にH神経科クリニックを受診した。そして、産業医では『不眠症』、Y医院では『慢性頭痛(筋収縮性頭痛)』、H神経科クリニックでは『神経症』と、それぞれ異なった診断名が付されている。このように、これらの各医療機関を受診した際の一審原告の症状が同一であったにもかかわらず、産業医、Y医院、H神経科クリニックの各医療機関での診断名がそれぞれ異なっていることからすれば、H神経科クリニックの『神経症』との『診断に係る病名』のみを殊更に取り上げて、『申告しなかったために発症を回避する機会を失わせる一因となった』などとして過失相殺の要素の一つとすることは、明らかに失当である。」と主張する(上告受理申立理由書23~24頁)。
 しかし、一審原告は、各医療機関が付けた診断名が異なることを主張するが、診断名が異なることは、一審原告が現実に生じていた体調不良の事実を一審被告に申告しなかったことの理由になるものではなく、一審原告の主張は失当というべきである。産業医あるいはY医院の医師は内科の医師であるのに対し、H神経科クリニックは精神科・神経科を診療科目として掲げる医療機関であり(乙31)、それぞれの医療機関で診断名が異なるものであったことは特段不自然なことではない。
ここで重要なのは、一審原告が精神科・神経科を診療科目として掲げるH神経科クリニックを自ら受診したという事実であり、この事実は、当時、一審原告が自分の体調不良の原因がメンタル不調にある可能性を認識していたことを意味している。そして、H神経科クリニックを受診した結果、精神科・神経科の専門医から一審原告の症状について「神経症」の診断を受けたのである。それまでも一審原告は、頭痛、肩こり、不眠等の症状を有していたものであるが、H神経科クリニックを受診した結果、心因性の精神障害である「神経症」(乙25)の診断を受け、自身がメンタル不調を有していたことを明確に認識するに至ったのである。仮に、一審原告が精神科・神経科を平成12年12月に受診し「神経症」の診断を受けた事実を一審被告に申告していれば、一審被告がメンタル不調を有する一審原告に対して業務軽減等の措置を講じたことは間違いないところであり、平成13年4月に一審原告が発症したとされるうつ病について、その発病を回避したり、発病後の増悪を防止することができた可能性が十分に存在する。
よって、一審原告が一審被告に対してメンタル不調を有していた事実を申告しなかったことを過失相殺の事情としてしん酌することは妥当であり、原判決 の判断に何ら誤りはない。
(2)また、一審原告は、「平成12年12月及び平成13年4月にH神経科クリニックで処方された処方薬は『デパス』であったが、これは、同年7月に山本医院で処方された処方薬と同じである。原判決は、H神経科クリニックでの処方薬『デパス』について『申告しなかったために発症を回避する機会を失わせる一因となった』などとするが、同年6月にY医院で処方された処方薬『デパス』と同じであったことを看過している。このH神経科クリニックでの『処方された処方薬』のみを殊更に取り上げて、過失相殺の要素の一つとすることは、明らかに失当である。」と主張する(上告受理申立理由書24頁)。
 しかし、Y医院で処方された処方薬とH神経科クリニックで処方された処方薬が同じであったとしても、そのことは一審原告が現実に生じていた体調不良の事実を一審被告に申告しなかったことの理由になるものではなく、一審原告の主張は何ら理由がない。一審原告は、平成12年6月にY医院で抗不安剤であるデパスを処方されたことによりメンタル不調の可能性をある程度は認識していたものと解されるが、その後の同年12月に受診したH神経科クリニックにおける精神科・神経科の専門医の診断によって「神経症」の診断を受け、抗不安剤であるデパスを再び処方されたことにより、一審原告が自身にメンタル不調があることを明確に認識したことが明らかである。
 よって、原判決は、平成12年6月に一審原告がY医院でデパスを処方されていた事実を看過したものでは全くなく、一審原告の心身の症状及び診療の経過を踏まえて判断したものであって、一審原告の主張は全くの失当というべきである。
(3)また、一審原告は、「H神経科クリニックでの主訴に係る症状であった『頭痛、不眠(寝付きが悪く、朝早く目が醒める)』等は、すでに、平成12年5月の健康診断時及び同年6月の産業医受診時に訴えており、また、Y医院でも同様の慢性頭痛を訴えている。原判決は、H神経科クリニックでの主訴に係る症状のみを殊更に取り上げて、『申告しなかったために発症を回避する機会を失わせる一因となった』として、過失相殺の要素の一つとした。かかる論理は、健康診断時や産業医受診時の症状やY医院受診時の症状と同一であったことを看過しており、明らかに失当である。」と主張する(上告受理申立理由書24~25貢)。
 しかし、再三述べているとおり、一審原告が平成12年12月にH神経科クリニックを受診して「神経症」の診断を受けたことにより、一審原告は自身の体調不良がメンタル不調によるものであることを明確認識するに至ったものである。一審原告に生じていた症状が共通であったとしても、その症状がメンタル不調に起因するものであることが一審被告に明らかとなれば、一審被告はそれに応じた業務軽減等の措置を講じることになるのであって、症状が共通していたことは一審原告がメンタル不調を有していた事実を一審被告に申告しなかったことの理由になるものではない。
よって、上記一審原告の主張もまた理由がないことが明らかである。
(4)また、一審原告は、原判決が予見可能性の有無について「この点、第1審被告は、第1審原告が医療機関において診療を受けていることを産業医等に告げていなかったために、産業医において第1審原告の健康状態につき危慎の念を抱き得る状況にはなく、本件鬱病の発病についての予見可能性がなかった旨主張するが、むしろ第1審被告の産業医としては、上記の問診結果を受けて、第1審原告に対するより詳細な診察を実施するなどして、第1審原告の健康状態に問題がないことを確認すべき責務があったものというべきであり、第1審被告の主張は採用することができない。」(原判決48頁)と判示していることについて、「この産業医・一審被告の責務を課す趣旨に照らして、平成12年12月及び平成13年4月のH神経科クリニック受診を産業医や上司に告げなかったとして『過失相殺をすべき事情である』などとし、労働者側に過失相殺を安易に認めていることは、原判決自身矛盾していると言わざるを得ない。」と主張する(上告受理申立理由書25頁)。
しかし、損害賠償請求権である予見可能性の問題と、損害賠償請求潅が成立することを前提にその損害額の公平な分担のために行う過失相殺とは全く別の次元の問題であり、一審原告らの主張は失当である。過失相殺の適用に当たっては、損害の公平な分担を実現するため事案に現れた様々な事情を総合的に考慮して検討されるべきなのであり、精神科・神経科を受診して「神経症」の診断を受けていた事実を一審被告に申告していなかったことも過失相殺に当たって当然に考慮すべき事情の一つである。
 付言すれば、仮に被告の産業医の問診の結果から一審原告の健康状態に問題がないことを確認すべき責務があったとしても、一審原告が精神科・神経科をすでに受診して「神経症」の診断を受け、抗不安剤であるデパスの処方を受けていたという情報を得ていれば、産業医の一審原告に対する対応が違ったものになっていたことは火を見るよりも明らかであり、その機会を失わせた一審原告の行為は過失相殺の要素として当然に考慮すべきものである
よって、原判決の判示が矛盾しているとの二審原音の主張は全く理由がない。
(5)また、一審原告は、メンタル不調の申告について、原判決が「労働者として、使用者による自らに対する考課に影響を与えかねない申告であることは否めないが、損害の公平な分担という見地から見れば、過失相殺をすべき事情であるといわざるを得ない」と判示したことについて、「そもそも『損害の公平な分
担の見地』から過失相殺を行うこと自体が失当であると主張する(上告受理申立理由書26頁)
 しかし、最高裁は、交通事故による鞭打ち症に関する損害賠償請求事案において、「身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害がその加害行為のみによって通常発生する程度、範囲を超えるものであって、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情の斟酌することができるものと解するのが相当である。」と判示しているのであって(最判昭和63年4月21日判示1276号44頁)、過失相殺の趣旨が「損害の公平な分担」にあることは最高裁が判示しているところである。
また、一審原告は、過失相殺は対等な関係において妥当するものであり、労働契約における使用者と労働者という非対等の関係にある場合には過失相殺は適用すべきでないとも主張する(上告受理申立理由書38~39貢)。
 しかし、上記最高裁判決が判示するように、損害の発生または拡大に被害者側の事情が寄与している場合に損害の公平な分担を実現するため過失相殺は行われるものであって、加害者と被害者が対等な関係に無ければ適用できないというものではない。逆に、損害の発生または拡大に被害者側の事情が寄与しているにもかかわらず、対等な関係に無いということだけですべての損害を加害者側が負担しなければならないと解することの方が公平の理念を著しく損なうものであって、一審原告の主張には理由が無いことが明らかである。
(6)また、一審原告は、「一審原告は『平成12年6月ころから産業医に対し、体調の不良を訴えており、平成13年5月には、産業医や上司に対し、積極的に体調の不調や精神科医への通院を伝えているのであって、自己の神経症等の症状を隠したことはない』と主張しているのであって、原判決は一審原告の主張を正解しておらず、失当である。」と主張する(上告受理申立理由書26~27頁)。
しかし、平成12年6月16日に一審被告深谷工場健康管理室において一審原告が訴えた症状は「不眠」であるし、平成13年5月に欠勤した際に一審原告が体調不良の内容として上司であるF課長に伝えた内容は「頭痛」であり、これらは一般的な症状であって、直ちに産業医や上司においてメンタル不調を有していると考えるのは困難である。
 また、一審原告は、平成13年5月に産業医や上司に対して精神科への通院の事実を伝えたと主張しているが、そのような事実は存在せず、原判決もそのような事実は認定していない。一審原告の主張は原判決の事実認定を争うものであって、上告の理由にはなり得ないものである。
(7)以上のとおり、一審原告が現実に生じている自身の体調不良を申告しなかったことが一審被告において、本件鬱病の発病を回避したり、発病後の増悪を防止する措置をとる機会を失わせる一因であるとして過失相殺の際の事情とした原判決の判示に何ら誤りは存在しないのであり、それを非難する一審原告の主張はいずれも理由がないことが明らかである。

3、個体側の脆弱性について
(1)一審原告は、「原判決は、一審原告が慢性的に生理痛を抱えていることを敢えて摘示し、『個体側の脆弱性』に関連するような判示を行っているが、全くもって失当である。」と主張する(上告受理申立理由書28頁)。
しかし、原判決自身が「上記の第1審原告側の事情の考慮は、(中略)頭痛や生理痛自体を取り上げるものでもない」(原判決58頁)と明確に述べているとおり、原判決は、一審原告が慢性的な生理痛を抱えていること自体を素因減額の事情とは取り上げていないのであり、一審原告の主張は全くの的外れである。
(2)また、一審原告は、平成12年6月ないし7月に見られた頭痛や不眠の症状は、同種労働者の多様さとして通常想定される範囲の労働者にも多く見られるものであり、また、これらの症状は業務に起因するものであることが容易に推認されることから、これらの症状があることを素因減額の理由とすることは失当である旨主張する(上告受理申立理由書28~29頁)。
しかし、上記のとおり、原判決は、一審原告が有していた頭痛や不眠の症状それ自体を取り上げて素因減額の事情と判断したものではなく、一審原告のこの主張も全くの的外れである。
また、一審原告は、平成12年6月ないし7月に見られた頭痛や不眠の症状が業務に起因するものであると主張するが、それを裏付ける事実や証拠はなく、原判決もそのような事実は何ら認定していない。一審原告の主張は事実に基づかない主張であると言わざるを得ない。
(3)また、一審原告は、「H神経科クリニックでの主訴、症状は、平成12年6月の産業医受診時、同年7月のY医院受診時と同じであり、また、処方薬もY医院受診時と同じなのであるから、原判決がこの同年12月のH神経科クリニック受診時の症状、診断名、処方薬のみを殊更取り上げて、平成12年6月・7月の診断や処方薬との関係を看過しているのは失当である。」と主張する(上告受理申立理由書29頁)。
しかし、一審原告の主張は原判決の判示を正しく理解しないものであり、その批判は失当である。
原判決は、「第1審原告は、入社後、慢性的にひどい生理痛を抱えていたことが窺われ、平成12年6月ないし7月には、慢性頭痛(筋収縮性頭痛)との診断名で、抑鬱、睡眠障害にも適応のあるデパス錠、神経症における抑鬱に適応のあるセルシン錠の処方を受けていること、同年12月には、第1審原告の頭痛、不眠(寝付きが悪く、朝早く目が醒める。)、仕事の途中で車酔いしたような感じが出たりするとの主訴に基づき、神経症と診断され、デパス錠の処方を受けていた」と判示し(原判決57頁)、一審原告に認められた症状や診療についての一連の経過をもとに一審原告に個体側の脆弱性が存在したものと推認できると判示したのであって、平成12年12月のH神経科クリニックの受診のみを殊更に取り上げているものでは全くない。すなわち、原判決は、平成12年6月以降、一審原告には、抑鬱に適応のあるデパス錠やセルシン錠を処方されるような精神症状が認められ、同年12月にH神経科クリニックを受診して、心因性の精神障害である「神経症」と精神科医によって診断され再びデパス錠を処方されたというー連の客観的事実から、一審原告に個体側の脆弱性が存在したものと推認できると判示したものであって、その判断は正当である。
(4)また、一審原告は、本件の行政訴訟判決は、平成12年12月以降の神経症の診断が後の精神障害の前駆症状と評価しうると判示し、さらに、一審原告に業務以外に精神障害を発症させる要因がないことを明言している旨主張する(上告受理申立:哩由書29頁)。
しかし、行政訴訟判決が神経症について述べているのは「後の精神障害の前駆症状とも評価し得るものである」(甲209・22頁)ということであり、もとより平成12年12月の神経症が後のうつ病の前駆症状であると確定的に述べたものではない。
また、一審原告が指摘する行政訴訟判決の判示は、一審原告の精神障害の業務起因性、すなわち、業務と精神障害発症との間の相当因果関係の有無に関する判示であって、本件で問題となっている過失相殺や素因減額とは別の論点に関する判示に過ぎず、そのまま本件に妥当するものではない。
(5)また、一審原告は、原判決が「精神医学上、一般的には6か月から1年程度の治療により治癒する例が多(い)」と判示したことについて、「一般論としてこのような期間の断定はできない(精神疾患が寛解するまでの期間に個人差があることは原判決自身が認めるところである)。それにもかかわらず、原判決は短絡的に一審原告の療養期間を脆弱性と結びつける判示を行っており、失当である。」と主張する(上告受理申立理由書29~30頁)。
しかし、精神医学の著名な大学教授や専門医らによって構成される「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」がまとめた報告書(乙36)において「業務によるストレス要因を主因とする精神障害にあっては、一般的には6か月から1年程度の治療で治癒する例が多い」(9~10頁)と述べられているのであり、これを精神医学における知見として判示した原判決に何ら誤りはない。精神疾患が寛解するまでの期間に個人差があることはその通りであるが、業務を主因とする精神障害である場合に、原因である業務を長年に亘って離れても症状が軽快しないのであれば、業務以外の精神障害の原因として個体側の脆弱性の存在を推認するのは当然の論理的帰結であり、その判断に誤りはない。
また、原判決は、一審原告の療養期間だけをもって個体側の脆弱性の存在を推認すると判断している訳ではなく、上述したとおり平成12年6月以降の一審原告の精神症状と診療の経過と診療の経過も踏まえて判断しているのであって、その判示は正当である。
(6)さらに、一審原告は、原判決が「第1審原告は、前掲の最高裁判所平成12年判決を引用し、本件における素因減額を否定すべきものとするが、上記の第1審原告側の事情の考慮は、第1審原告の性格を取り上げるものではないし、頭痛や生理痛自体を取り上げるものでもないのであって、第1審原告の主張は理由がない。」(原判決58頁)と判示したことについて、「上記最高裁判決は、性格のみをしんしやくしてはならないと限定したものではない。上記判決の趣旨は、性格に限らず、その労働者が『通常想定される範囲を外れたものでない限り』、何らかの要素が過重労働に起因して損害の発生・拡大に寄与していたとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものであって、安易に過失相殺・素因減額をすべきではない、ということにある。」と主張する(上告受理申立理由書31頁)。
しかし、原判決の主張は、電通事件の最高裁平成12年3月24日判決(労判779号13頁)に対する根拠のない解釈を述べるものに過ぎず、失当であることが明らかである。
同最高裁判決の過失相殺に関する判示についてみると、同判決は、先ず、「企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生または拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。」と判示し、その上で、「労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因としてしんしやくすることはできないというべきである。」と判示するものである。すなわち、同最高裁判決は、労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない場合には、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を過失相殺の際の心因的要因として斟酌することはできないと判示するものであって、「個性の多様さ」という文言を用いていることからも明らかなとおり「性格」に限定した判示であることが明らかである。
この点について、八木一洋最高裁裁判所調査官は、最高裁判所判例解説において、「本判決が採り上げて論ずるのは、本件の事案に即して、『業務の負担が過重であることを原因とする』不法行為法上の損害賠償請求の場面であって、『[労働者の]性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が……損害の発生又は拡大に寄与した』場合である。特定の人物の性格は、その人物の各種の言動等を総合的に考慮して初めて把握し得るものであって、損害の発生又は拡大に直接に関係するのは、その人物の具体的な言動である。こうしたことから、本判決は、『[労働者の]性格及びこれに基づく業務遂行の態様等』と概括的な表現を用いたものと思われる。ここで問題とされているのは、労働者の性格に起因する言動等であって、性格とは無関係の特殊な動機等に基づく言動等は、本判決の射程の外にあると考えられる。また、その言動等は、業務遂行に関するものであって、純粋の私事に関する言動や、退職後療養中の言動等は、直接の射程に含まれないと考えられる。」と述べており(最高裁判所判例解説民事篇平成12年度(上)366~367頁、下線は一審被告代理人による。)、電通事件の最高裁判決の射程が「[労働者の]性格及びこれに基づく業務遂行の態様等」に限定されていることについては上記最高裁判例解説からも明らかである。
よって、電通事件の最高裁判決に関する一審原告の主張は、根拠のない独自の解釈を述べるものに他ならず、理由がないことが明らかである。
(7)また、一審原告は、「本件一審原告の不眠や頭痛、生理痛などは、同種労働者の多様さとして通常想定される範囲の労働者に多く見られるものであって使用者として予想すべきものである。本件において、仮に万一、原判決のいうように一審原告の不眠や頭痛、生理痛などが問題であるとするならば、それら不眠や頭痛、生理痛などを、一審被告は実際に把握していたのであるから、そのような一審原告に適した『配置先、遂行すべき業務の内容等を定める』べき安全配慮義務を負うと解すべきところである。」と主張する(上告受理申立理由書31頁)。
しかし、再三述べているとおり、原判決は、一審原告が有していた頭痛や生理痛自体を取り上げて素因減額を行ったものではなく(原判決58頁)、一審原告の主張は的外れであると言わざるを得ない。上述したとおり、原判決は、平成12年6月以降、一審原告に抑鬱に適応のあるテパス錠やセルシン錠を処方されるような精神症状が認められ、同年12月のH神経科クリニックの受診によって、心因性の精神障害である「神経症」と精神科医によって診断され再びデパス錠の処方を受けたという一連の客観的事実から、一審原告に個体側の脆弱性が存在したものと推認できると判示したものであって、そのような一審原告の個体側の脆弱性を使用者である一審被告において予想するのは困難であることが明らかであり、この点を素因減額において考慮するのは正当な判断である。
よって、一審原告の上記主張は理由がないことが明らかである。
(8)また、一審原告は、「原判決自身が、『第1審原告が本件鬱病の発病時に就いていた職種において、通常業務を支障なく遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する平均的労働者の範囲内から逸脱するような脆弱性があったと認めることはできない。第1審原告は、上記の平均的な労働者の範囲内にあったものと優に認められる』と認定しているのであるから(46頁)、上記最高裁判決に則れば、本件はまさしく、過失相殺を行うべきではない事案である。」と主張する(上告受理申立理由書31~32頁)。
しかし、原判決の上記認定は、一審原告の「うつ病は『業務上の疾病』か」という業務起因性の判断として、一審原告の「個体側要因」について、「第1審原告の個体側の脆弱性が、発病の原因として業務よりも重い意味を持ったとまで認めることはできない」(原判決46頁)、「他に第1審原告につき業務よりも重い意味を持った本件鬱病を発病させる個体側要因ないし業務外の要因があったことを認めるに足りる証拠はない」(同47頁)旨の判断との関係において、「平均的労働者の範囲内から逸脱するような脆弱性があったと認めることはできない」旨を述べるものであって、このことと、原判決が「本件鬱病の発病につき業務起因性の認定を妨げるほどに重いものではないが、業務外にも発病を促進した因子又は寛解を妨げる因子が存在するという個体側の脆弱性が存在したものと推認せざるを得ない」(同58頁)として素因減額を認めたこととは、矛盾するものでも、電通事件の最高裁判決に反するものでも全くない。再三述べるとおり、一審原告には平成12年6月以降、デパス錠やセルシン錠を処方されるような精神症状が存在し、同年12月には「神経症」との診断を受けていたこと、一審原告が業務を長年に亘って離れても寛解に至っていないという客観的な事実が存在するのであって、それらから一審原告の個体側の脆弱性の存在を推認した原判決の判断は合理的であって正当である。

4、まとめ
以上のとおり、本件において過失相殺及び素因減額を認めた原判決の判断は正当であって何の誤りもなく、それを非難する一審原告の主張はいずれも理由がないことが明らかである。

第3 損益相殺について
1、未支給分の労炎保険給付についての損益相殺について
(1)一審原告は、原判決が休業損害金の算出にあたって、判決確定の目までの労災保険の休業補償給付金を控除したことについて(原判決60頁)、未支給分の労災保険給付について損益相殺を行うことは、最高裁昭和52年10月25日判決に違反する判断である旨主張する(上告受理申立理由書32~33頁)。
(2)しかし、最高裁昭和52年10月25日判決の事案は、労災事故によって重傷を負った労働者が使用者に対して労働能力を喪失したことによる逸失利益を損害賠償として求めたのに対し、労働者災害補償保険法に基づく長期傷病補償給付と厚生年金保険法に基づく障害年金について将来の給付額を現在価額に引き直して算出した金額を控除することの適否が問題となった事案である。これに対し、本件は、一審原告が逸失利益の損害賠償請求という構成は採らずに、不就労期間について貸金相当額の休業損害金が毎月発生するとして損害賠償を求めるものであり、上記最高裁判決とは事案を異にするものである。
一審原告は、原判決が、判決確定日までの貸金相当額の損害額からそれに対応する労災保険の休業補償給付金を控除して休業損害金を算出した中に未支給分の休業補償給付金が含まれているとして、これが最高裁判決に違反すると主張するものであるが、言うまでもなく、確定した判決に基づいて一審原告が一審被告に支払いを求める時点では、判決確定日までの休業補償給付金は既に支給されていることになるのであり、判決確定日までの休業補償給付金を休業損害金から控除することは「未支給分」の休業補償給付金を控除することには当たらないというべきである。
そもそも一審原告が求める判決確定までの間の休業損害金の支払いを求める訴えは、事実審の口頭弁論終結時までに履行期を迎えていない分については「将来の給付を求める訴え」(民事訴訟法135条)に該当するものであるが、判決確定日までの休業損害金の賠償を求める請求について「あらかじめその請求をする必要」を肯定するのであれば、当該期間に対応する労災保険の休業補償給付金についても控除することを認めるのが道理であり、公平の理念に適うものである。
よって、原判決が最高裁昭和52年10月25日判決に反するとの一審原告の主張は理由がないものである。
   
2、東芝健康保険組合の傷病手当金等についての損益相殺について
(1)一審原告は、一審原告が東芝健康保険組合に対して返還していない傷病手当金等の367万8848円について、原判決が損益相殺の対象としたことについて、「一審原告は、この367万8848円について、東芝健康保険組合からなお返還請求を受けている立場にある。一審原告は、これに対応する期間分の支払いを一審被告より受領した後に返還する旨を、同組合に対して明示している。すなわち、同金員について、一審原告は最終的な利得を得ているわけではないのである。それにもかかわらず損益相殺をすることは、損益相殺の制度趣旨(二重に受領することの防止)自体に反するものであり、失当である。」と主張する(上告受理申立理由書33~34頁)。
(2)しかし、一審原告が束芝健康保険組合から支給された傷病手当金等の返還請求を受けたにもかかわらず、367万8848円については返還に応じずに保持していることは紛れもない事実である。一審原告は将来返還することになるため最終的な利得を得ているわけではないと主張するが、一審原告が将来実際に返還に応じるかどうかは未確定なのであり、そのような未確定な事実をもとに損益相殺を否定するのは不当である。
 よって、一審原告が現に保持している東芝健康保険組合からの傷病手当金等367万88488円を損益相殺の対象とするのは、損益相殺の制度趣旨に何ら反するものではなく、むしろ適合するものであって、一審原告の主張は理由がない。

第4 結語
 以上の次第で、一審原告の主張はいずれも理由がなく、上告理由にはなり得ないものである。よって、一審原告の上告は棄却すべきである。

                                               以上







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