東芝・過労うつ病労災・解雇裁判
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裁判・上告審

平成23年(受)第1259号 

上告受理申立理由書


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平成23年(ネ受)第174号 解雇無効確認等請求上告受理申立事件
(原審:東京高等裁判所平成20年(ネ)第2954号)
申立人(一審原告) 重光由美      
相手方(一審被告) 株式会社東芝


              上 告 受 理 申 立 理 由 書


                                   平成23年 5月 9日

最高裁判所 御中


                             申立人訴訟代理人
                              弁護士   川  人     博

                              同      山  下  敏  雅

                              同      小  川  英  郎

                              同      島  田  浩  樹





                    理 由 要 旨

 本件は,使用者が,過重労働により精神疾患を発症し休業中であった労働者を,休業期間の満了を理由に解雇したが,その精神疾患発症・増悪について使用者に責めに帰すべき事由・安全配慮義務違反・注意義務違反が認められる事案であるところ,
 ① 原判決は,民法536条2項に基づいて認容した賃金額について,平均賃金・給付基礎日額と一致させておらず(すなわち時間外労働賃金と賞与分を含めておらず),民法536条2項,労働基準法76条,及び労働者災害補償保険法14条1項の解釈適用を誤った違法がある(理由第1)。
 ② 原判決は,使用者に対する賃金請求権と,労災の休業補償給付請求権とが全く両立しないことを当然の前提として,労働者が使用者から賃金を受領した場合に労災保険金が不当利得になるとするが,労働者災害補償保険法14条1項の解釈を誤った違法がある(理由第2)。
 ③ 原判決は,基本的請求に係る賃金請求が認められなかった範囲について休業損害金の支払請求の可否を審理するに際し,休業損害金部分については損益相殺処理を行ったが,原判決が,一方で賃金の支払によって労災の休業補償給付が不当利得になるとしながら,他方で損害賠償からその休業補償給付受給分を損益相殺する矛盾を犯しており,損益相殺法理及び労働者災害補償保険法14条1項の解釈適用を誤った違法がある(理由第3)。
 ④ 原判決は,過失相殺・素因減額として賠償額の2割を減じたが,最高裁判例(平成12年3月24日・民集54巻3号1155頁)及び経験則の違反並びに事実認定の重大な誤りがある(理由第4ないし第7)。
 ⑤ 原判決は,損害賠償構成において,未支給分の労災保険給付について損益相殺を行った点で最高裁判例(昭和52年10月25日・民集31巻6号836頁)に違反しており,また,一審原告が健康保険組合より返還を求められ現在のところ未返還である傷病手当金等について,原判決が損益相殺を行った点で,損益相殺法理に関する解釈適用を誤った違法がある(理由第8)。
 ⑥ 原判決は,慰謝料の金額を400万円と認定し,過失相殺・素因減額により2割を減じた320万円を認容したにとどまっている点で,事実認定の重大な誤りがあり,また,一審被告の社内規定に基づく見舞金請求権を慰謝料と損益相殺した点で,損益相殺法理に関する解釈適用を誤った違法がある(理由第9)。
 ⑦ 原判決は,本判決確定後の期間についての賃金及び損害賠償の請求を,訴えの利益を欠くとして却下したが,民事訴訟法135条の解釈適用を誤った違法がある(理由第10)。






目 次

Ⅰ 事案の概要 7

Ⅱ 原判決要旨 8

Ⅲ 賃金請求権と労災の休業補償給付に関する法令解釈適用の誤り 10

第1 賃金額の認定の違法 10
 1 業務上災害により療養中の場合の「賃金」の解釈 10
  (1) 原判決の判示 10
  (2) 賃金と平均賃金・給付基礎日額とは一致すべきこと 10
 2 時間外労働賃金 11
  (1) 時間外労働賃金を含めないことによって生じる問題点 11
  (2) 原判決の挙げる根拠とその誤り 12
  (3) 解雇無効事案で時間外労働賃金も含めた賃金額を認定した例 13
 3 賞与 14
  (1) 原判決の判示とその問題点 14
  (2) 解雇無効事案で賞与も含めた賃金額を認定した例 15
 4 一審被告従業員の平均年収 16
第2 労災の休業補償給付請求権と賃金請求権とは両立する 16
 1 原判決の判示とその問題点 16
 2 賃金請求権と労災保険金給付請求権との関係 17
 3 休業補償給付と賃金との調整 20
第3 賃金請求権が認められなかった範囲についての損害賠償額について原判決の判示の明白な矛盾・誤り 21

Ⅳ 損害賠償請求における過失相殺・素因減額の誤り 23

第4 総論 23
第5 体調不良の申告 23
 1 原判決の判示 23
 2 上記判示に対する反論 23
  (1) 「診断に係る病名」〔①〕 23
  (2) 「処方された処方薬」〔②〕 24
  (3) 「主訴に係る症状」〔③〕 24
 3 原判決の矛盾 25
 4 平成13年4月の受診及び増悪 25
 5 一審原告が一審被告に対して症状等を隠していないこと 26
 6 まとめ 27
第6 個体側の脆弱性のないこと 27
 1 原判決の判示 27
 2 反論 28
  (1) 生理痛〔①〕 28
  (2) 平成12年6月ないし7月の症状〔②〕 28
  (3) 平成12年12月のH神経科クリニック受診〔③〕 29
  (4) 療養期間について〔④〕 29
第7 最高裁判例違反 30
 1 最高裁平成12年3月24日判決 30
 2 原判決の判示とその誤り 30

Ⅴ その他の論点 32

第8 損害賠償構成における損益相殺の誤り 32
 1 未支給分の労災保険給付について損益相殺を行ったことが最高裁判例に違反すること 32
 2 東芝健康保険組合の傷病手当金等について損益相殺を行ったことの誤り 33
第9 慰謝料・見舞金 34
 1 慰謝料の金額 34
  (1) 原判決の判示 34
  (2) 反論 34
   ア 賃金ないし賃金相当損害金の支払いについて〔①〕 34
   イ 打切補償による解雇について〔②〕 35
  (3) 認められるべき慰謝料額 36
 2 見舞金請求権について損益相殺を行ったことの誤り 36
  (1) 原判決の判示 36
  (2) 反論 37
   ア 見舞金と慰謝料とは性質が異なること〔②〕 37
   イ 「迅速」な支払いのための制度ではないこと〔①〕 38
   ウ 見舞金の金額が「低額とはいえない」とする点〔③〕 38
   エ 「損害の公平な負担の見地」〔④〕 38
第10 将来請求を却下したことの誤り 39


Ⅰ 事案の概要

1 本件は,従業員である一審原告(申立人)が,使用者である一審被告(相手方)に対し,平成16年9月9日付解雇は一審原告が業務上の疾病に罹患して休業していたにもかかわらずされたものであって違法無効であるとして,雇用契約に基づき,雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認及び本件解雇後の平成16年10月から本判決確定の日までの賃金ないし賃金相当損害金(損害賠償)の支払いのほか,注意義務・安全配慮義務を怠って上記疾病に罹患したものであるとして,債務不履行又は不法行為に基づき,慰謝料等及び遅延損害金の支払いを求めたものである。
2 一審判決は,一審原告の主張をほぼ認容し,地位確認,「解雇」日までの賃金と傷病手当等の差額分と平成16年10月から判決確定の日まで月額47万3831円の賃金の支払い(民法536条2項によって賃金として認容),及び,慰謝料等損害賠償を認容した(ただし慰謝料額については1500万円の請求に対し認容額は200万円にとどまった)。
3 控訴審係属中に,一審原告の疾病が労働基準監督署より労災として認定され,休業補償給付が支給されるようになった。
4 一審原告は,控訴審において,
 ⑴ 「解雇」日までの期間について,傷病手当等の差額分ではなく賃金額全額に請求を拡張し,
 ⑵ 賃金請求権との選択的請求として安全配慮義務違反ないし不法行為に基づく損害賠償請求権,予備的請求として一審被告の会社規定に基づく休業補償請求権を追加し,
 ⑶ 賃金(ないし賃金相当損害金)に対する遅延損害金の請求を追加し,
 ⑷ 賃金(ないし賃金相当損害金)について判決確定後の期間に関する請求を追加し,
 ⑸ 業務上災害の場合に一審被告の規定に基づいて支払われる見舞金等の請求を追加した。


Ⅱ 原判決要旨

1 原判決は,一審判決と同様,一審原告の精神障害が業務に起因すること,これについて一審被告に責めに帰すべき事由・安全配慮義務違反・注意義務違反がある旨判示し,また,民法536条2項に基づいて賃金請求が認められるとしたが,一審判決と異なり,下記のように判示した。
 a 賃金額は,時間外労働賃金と賞与を除いた月額26万9683円とした(主文第1項,原判決53頁~54頁)。
 b 損害賠償構成や会社規定に基づく休業補償金構成の場合には,労災給付等との損益相殺がなされる結果,賃金構成で認められる金額を上回らないとした(損害賠償構成につき原判決55頁~62頁,休業補償金構成につき原判決65頁~67頁)。
   なお,この中では,未支給分の労災保険給付や,一審原告が健康保険組合より返還を求められ現在のところ未返還である傷病手当金等についても,損益相殺の処理を行った(原判決60頁~61頁)。
 c 基本的請求に係る賃金請求が認められなかった範囲(すなわち26万9683円を超える部分)について重ねて損害賠償として請求できるかについては,その損害賠償部分よりも労災給付額のほうが上回る(損益相殺的処理)として,結論として重ねての請求を認めなかった(原判決62頁)。
 d 慰謝料額については400万円と認定した(原判決58頁~59頁)。
 e 損害賠償については,過失相殺・素因減額として2割を減じた(原判決56頁~58頁)。
 f 会社規定に基づく見舞金請求権560万円について,慰謝料(400万円から2割を減じた320万円)と損益相殺を行い,240万円のみを認容した(原判決63頁~65頁)。
 g 一審原告が原審で追加した賃金に対する遅延損害金の請求を認容した(主文第5項)。
 h 将来給付の訴えについては,判決確定後の分を却下した(原判決53頁,56頁)。

2 原判決の主文と理由の対応関係は,下記の通りである。

内容 備考 該当頁
第1項 平成16年10月から毎月26万9683円の金員(賃金)の支払い (上記「a」) 53頁~
 54頁
第2項 一審判決主文第3項のほか,161万3200円の支払い 一審判決主文第3項835万1382円に161万3200円を加えた合計額は996万4582円。この内訳は下記の通り。
○ 平成13年9月~平成16年8月の未払賃金970万8600円のうち,一審で請求していた金額 511万7382円
○ 治療費,診断書作成料,交通費, 慰謝料(400万円に増額。上記「d」)の合計443万4000円から,過失相殺・素因減額で2割を減じた,354万7200円(上記「e」) 59頁
○ 弁護士費用 130万円



54頁,
62頁,
68頁

59頁


59頁
第3項 双方のその余の控訴をいずれも棄却
第4項 判決確定日の翌日以降の請求を却下 (上記「h」) 53頁,
56頁
第5項 第1項の金員に対する年6分の割合による遅延損害金 (上記「g」。原審で一審原告が請求を追加したもの)
第6項 699万1218円の支払い 控訴審で一審原告が請求を追加したもの。この内訳は下記の通り。
○ 見舞金請求権560万円から慰謝料320万円(400万円から2割を減じた金額)を控除した240万円
○ 平成13年9月~平成16年8月の未払賃金970万8600円のうち,主文第2項で認容された511万7382円を差し引いた459万1218円


65頁


54頁,
62頁
第7項 一審原告が控訴審で追加したその余の請求をいずれも棄却





Ⅲ 賃金請求権と労災の休業補償給付に関する法令解釈適用の誤り

第1 賃金額の認定の違法
 1 業務上災害により療養中の場合の「賃金」の解釈
  (1) 原判決の判示

    本件で一審判決は一審被告が支払うべき毎月の賃金額を47万3831円と正当に認定した。ところが,原判決は,「賃金の額を算出するに当たり,時間外労働賃金及び賞与に相当する金額を算入することはできない」(53頁)として,これを26万9683円と減額した。
  (2) 賃金と平均賃金・給付基礎日額とは一致すべきこと
    本件は,通常の解雇事案(労務の提供がなしえても解雇により就労できない)による民法536条2項に基づく賃金請求の事案と異なり,業務上災害により療養中のために労務の提供がなしえない状況にあったにもかかわらず解雇されたために,民法536条2項に基づく賃金請求を行っている事案である。
ここで,労災保険法14条の労災給付(休業補償)のもととなっている労基法76条の休業補償は,「平均賃金」(労基法12条)の6割と法定されている。「平均賃金」は,この労災による休業補償のほか,解雇予告手当(労基法20条),使用者の責めに帰すべき休業の場合の手当(同26条),有給休暇中の手当(同39条7項)の各場合にも適用される。これらの各補償や手当において「平均賃金」が用いられるのは,労働者の生活保障のためには,基本賃金額ではなく,実際に労働者が得られるであろう賃金額を基準とする必要があり,当該手当の支給事由の発生する3ヶ月前の期間に現実に労働者が受けていた賃金(時間外労働賃金等も含む)が,実際に労働者が得られるであろう賃金額とするのに実態と符合し,相当であることによる。そして,その6割の支払いを,労基法は,罰則や付加金の定めによって担保しているのである。
このような強行法規より認められる各補償・手当よりも,民法536条2項で認められる賃金のほうが低額となるような事態は,明らかに全く不合理である。民法536条2項によって認められる賃金額と,平均賃金(そして労災保険における給付基礎日額)とに不一致が生ずることを法は予定しておらず,両者は一致しなければならないのである。
しかるに,原判決は,賃金額の認定にあたって,時間外労働賃金や賞与を除外し,労災における給付基礎日額と民法536条2項による賃金額とが大きく異なることを容認しており,失当である。

 2 時間外労働賃金
  (1) 時間外労働賃金を含めないことによって生じる問題点
 労災の休業補償給付の算定基礎となる給付基礎日額には,実際に支給された時間外労働手当も反映されるので,本件のように長時間労働によって疾病を発症した事案の場合には,休業補償給付の金額も(サービス残業となっていなければ)その分高額となる。
 しかるに,仮に原判決のいうように,賃金請求権で時間外労働賃金が反映されず,かつ,賃金請求権と労災給付請求権とが両立しないのであれば,「労働が長時間であればあるほど(そしてその分,安全配慮義務違反の程度が悪質であり,かつ,発症の蓋然性が高まれば高まるほど),賃金を受けると被災者が損をする」という,本末転倒な事態を生じる。業務上認定を得れば,給付基礎日額の6割を休業補償給付,2割を特別支給金として受給しうるのであるから,単純に概算で計算しても,時間外労働賃金(a)の額が,時間外労働手当を含まない賃金(b)の額の4分の1を超えるような長時間であればあるほど,賃金で受け取るほうが不利益となり,労災給付を受け取るに留めておかなければならないこととなってしまうのである。
 (a+b)×(6+2)/10 > b
            ∴ a > b×1/4
 本件で一審判決・原判決が認めるとおり,賃金請求権が認められるのは,使用者である一審被告に帰責性が存するからである。それにもかかわらず,無過失責任である労災給付を受けるだけに留めなければ被災者が不利益を被るのは明らかに理不尽である。そしてこのような理不尽な結果は,原判決が民法536条2項によって認めた賃金額に時間外労働賃金を含めないために生じたのである。
  (2) 原判決の挙げる根拠とその誤り
 原判決は,時間外労働賃金を含めない根拠として,①労働者が時間外労働を行った対価として給付されるもの,②時間外労働は使用者がこれを命ずることを不可欠の前提とするもの,の2点を挙げる(53頁)。
 しかし,①基本給も労働を行った対価として給付されるものであり(ノーワーク・ノーペイの原則),その点では時間外労働賃金と異ならない。原判決も,基本給が労働を行った対価として給付されるのではないとまで述べる趣旨ではなかろう。とすると,危険負担法理との関係では,①でいう対価性は,本質的な問題ではない。
 そして,②の使用者が命じているか否かについても,「不可欠の前提」ではない。実際,本件において,一審被告や上司らが一審原告その他社員に対し日々の時間外労働について命じた形跡はない。また,実際,M2ライン立ち上げが逼迫したスケジュールであり遅れていたこと等,当時の状況は,客観的にみて時間外労働が継続的に発生しうる状態だったのである。この点,旧労働省昭和25年9月14日付通達(基収2983号)は,「使用者の具体的に指示した仕事が,客観的にみて正規の勤務時間内ではなされ得ないと認められる場合の如く,超過勤務の黙示の指示によって法定労働時間を超えて勤務した場合には,時間外労働となる」としている。
  (3) 解雇無効事案で時間外労働賃金も含めた賃金額を認定した例
  この点,東京高裁平成17年5月31日判決(労働判例898号16頁)は,下記の通り述べて,無効な解雇による民法536条2項の賃金請求権の金額につき,時間外労働賃金も含めた平均賃金を基礎とすべき旨を正当に判示している。
  「 上記の大船自動車興業から支払われた賃金が,基本給のほかに精勤手当,家族手当,勤務手当,住宅手当,乗車手当,食事手当,時間外手当及び休日手当の各手当と加算(資格手当,路上教習手当,高齢者教習手当等により成る。)により構成されるものであったこと,控訴人が支払うべき賃金額の算定の基礎として,基本給のほか家族手当,住宅手当,乗車手当のうち一律支給分1万7600円,加算のうち資格手当相当分を含めるべきことは当事者間に争いがない。
 控訴人は,精勤手当,勤務手当,乗車手当のうち一律支給の1万7600円を超える部分,時間外手当及び休日手当は,現実に勤務して初めて認められるものであるから,控除すべきであり,加算のうち資格手当以外の路上教習手当,高齢者教習手当等は実際に行った教習内容及び教習時間により支給されるものであるから,平均賃金を算定するについて控除すべきであり,食事手当は昼食代を補助するための実費補償的手当であり,勤務日数に応じて支払われていたから,控除すべきである旨主張する。
 しかし,控訴人の責に帰すべき事由により労務の提供という債務の履行が不能であることから,控訴人は民法536条2項本文により賃金支払義務を負うのであって,被控訴人ら8名及び亡Iが現実に労務に従事することができないことは民法536条2項本文が適用される場合に当然予定されているところであるから,現実に勤務しないことを理由に上記精勤手当等につき賃金支払義務を負わないとする控訴人の主張は失当である。
 (略)そうすると,被控訴人ら8名及び亡Iは,控訴人の責に帰すべき事由により労務の提供が不能とならなければ,平成12年9月から11月までの3か月間において支給された精勤手当,家族手当,勤務手当,住宅手当,乗車手当,食事手当,時間外手当及び休日手当の各手当と加算の各手当の月平均額程度の支給が〔ママ〕受けることができたものと認められる。したがって,控訴人は,被控訴人ら8名及び亡Iに対し,平成13年1月以降,上記3か月間の上記各手当及び加算を含む賃金の月平均額を,毎月25日限り支払うべき義務があったものである。上記3か月間の賃金の平均月額は,労働基準法12条1項所定の平均賃金の月額と一致することとなる。」

 3 賞与
  (1) 原判決の判示とその問題点

 原判決は,「賞与の支給は,給与規則41条2項により,『事業年度の当該半期間の実勤務』が要件として定められており,同規則に従って,第1審被告が査定することにより具体的な権利として賞与の支払請求権が成立するものである」などと述べる(54頁。下線は申立人代理人)。
 しかし,一審原告が「実勤務」自体なしえないのは,一審被告の責めに帰すべき事由に基づくものである以上,危険負担法理の趣旨からして,「実勤務」がないことを理由に賞与請求権を否定することは明らかに失当である。
 一審原告が「実勤務」を行っていたならば賞与が支払われていたことは明白であり,一審被告自身も,そのような仮定の主張を行っていたのである(原判決18頁)。
  (2) 解雇無効事案で賞与も含めた賃金額を認定した例
 実際,解雇無効が認められた事案で,賞与を含めて賃金額を認定する判決は多数に及んでいる。
  ア 賃金に含める賞与の額を,当該労働者の過去の実績や解雇直近の金額に基づき認定したもの
   ・ 九州日誠電氣(本訴)事件(熊本地裁平成16年4月15日判決,労働判例878号74頁)
   ・ 宝林福祉会事件(鹿児島地裁平成17年1月25日判決,労働判例891号62頁)
   ・ サン石油事件(札幌高裁平成18年5月11日判決,労働判例938号68頁) 等
  イ 従業員全体の平均値に基づき認定したもの
   ・ 山宗事件(静岡地裁沼津支部平成13年12月26日判決,労働判例836号132頁)
   ・ 富士科学器械事件(東京地裁平成18年1月27日判決,労働判例911号88頁) 等
  ウ 最低評価額で認定したもの
   ・ 東光パッケージ事件(大阪地裁平成18年7月27日判決,労働判例924号59頁)
   ・ トキワ工業事件(大阪地裁平成18年10月6日判決,労働判例933号42頁) 等

 4 一審被告従業員の平均年収
  本件において,客観的事実として,一審被告従業員の平均年収は,平成14年3月31日時点で約710万円,その後上昇を続け,平成21年3月31日現在で約790万円である(甲210~甲217)。そして,一審被告従業員の平均年齢は,一審原告とほぼ同じである。
一審被告の責めに帰すべき事由による労務提供不能が生じなければ,これらの年収を一審原告が得られたであろうことは客観的にも容易に推定されるところである。一審原告は平成12年当時の年収を基礎とした金額で賃金を請求しており,確実に存したはずの昇給・昇格が存しなかったものとして取り扱うことに外ならないこととの均衡という観点からも,平成12年の年収額からさらに時間外労働賃金等の額を控除することは失当である。

第2 労災の休業補償給付請求権と賃金請求権とは両立する
 1 原判決の判示とその問題点

 原判決は,「労働者につき同条項の適用により賃金請求権が認められる場合には,労災保険法14条1項は,休業補償給付の要件として,労働者が業務上の負傷又は疾病による療養のため労働することができないために賃金を受けないことを規定していることから,使用者において未払賃金を受領したときに〔注:ママ。「労働者が未払賃金を受領したときに」又は「使用者から未払賃金が支払われたときに」の誤記〕,労働者が受領済みの休業補償給付金は,法律上の原因を欠く不当利得であったことが確定するにすぎない」と判示した(53頁)。
 上記判示は,使用者に対する賃金請求権と,労災の休業補償給付請求権とが全く両立しないことを当然の前提としている。「不当利得」となる金額の範囲に何らの限定も付されておらず,一審原告が受領した金額全てが「不当利得」となる趣旨と解釈し得る。そうすると,「使用者から約27万円を受け取って労災に約39万円を返す」という著しく理不尽な事態をもたらす。

 2 賃金請求権と労災保険金給付請求権との関係
  (1) そもそも,本件のように,『使用者に過失の存する業務上災害によって療養し,使用者が賃金を支払っていない場合』には,①民法536条2項のあてはめによって賃金請求権が発生し,②労災保険法14条の「療養のため労働することができないために賃金を受けない」場合でもあることから休業補償給付請求権も発生しているのであって,それぞれ条文のあてはめによって両請求権が存することは明らかである。
    労災保険法14条の休業補償の規定は,労働基準法76条の業務上の負傷・疾病の療養のため「労働することができないために賃金を受けない場合」に平均賃金の6割を支払う規定と,同法84条の「この法律に規定する災害補償の事由について,労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号)又は厚生労働省令で指定する法令に基づいてこの法律の災害補償に相当する給付が行われるべきものである場合には…」との規定を受けて制定されている。この労基法76条・84条及び労災保険法14条の趣旨は,業務上災害前に被災者が使用者から受けていた賃金の6割分を休業補償として支払うことで労働者の生活を保障することにある。
    休業補償の算定基準となる平均賃金(労基法12条)は,「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合」においても,その6割以上が支払われることと規定されている(同法26条)。この26条の解釈について,最高裁は下記のように述べて,この休業手当請求権と賃金請求権が競合しうる旨を認めている(最高裁昭和62年7月17日判決,民集41巻5号1350頁)。
「 労働基準法26条が『使用者の責に帰すべき事由』による休業の場合に使用者が平均賃金の6割以上の手当を労働者に支払うべき旨を規定し,その履行を強制する手段として附加金や罰金の制度が設けられている(同法114条,120条一号参照)のは,右のような事由による休業の場合に,使用者の負担において労働者の生活を右の限度で保障しようとする趣旨によるものであって,同条項が民法536条2項の適用を排除するものではなく,当該休業の原因が民法536条2項の『債権者ノ責ニ帰スヘキ事由』に該当し,労働者が使用者に対する賃金請求権を失わない場合には,休業手当請求権と賃金請求権とは競合しうるものである(最高裁昭和36年(オ)第190号同37年7月20日第二小法廷判決・民集16巻8号1656頁,同昭和36年(オ)第522号同37年7月20日第二小法廷判決・民集16巻8号1684頁参照)。そして,両者が競合した場合は,労働者は賃金額の範囲内においていずれの請求権を行使することもできる。したがって,使用者の責に帰すべき事由による休業の場合において,賃金請求権が平均賃金の6割に減縮されるとか,使用者は賃金の支払いに代えて休業手当を支払うべきであるといった見解をとることはできず,当該休業につき休業手当を請求することができる場合であっても,なお賃金請求権の存否が問題となりうるのである。」
    したがって,労基法76条・84条及び労災保険法14条によって労災給付が受けられる場合も,なお賃金請求権の存否が問題となりうるのであり,本件のように賃金全額を請求できる場合には,被災者は,労災給付(休業補償)を受けずに賃金請求権のみを行使することも可能であるし,労災給付(休業補償)を受けてなお不足する分を使用者に賃金として請求することも,いずれも可能なのである。
この理は,賃金請求ではなく損害賠償請求の場合と比較すれば,より明確である。通常の労災事案の場合,労災の休業補償給付と使用者に対する損害賠償請求とは両立することを前提としたうえで,両者の調整がなされる(年金給付と損害賠償の調整について労災保険法附則64条が規定していることや,損益相殺に関する各最高裁判例(最高裁昭和62年7月10日判決,民集41巻5号1202頁等)が示しているとおりである)。このような損害賠償と休業補償給付との調整では,「低額の損害賠償を使用者から受領して多額の労災を返す」というような異常な事態は生じないのである。しかるに,原判決は,賃金の場合には「低額の賃金を使用者から受領して多額の労災を返す」としているのである。労働基準法によって罰則まで設けて支払いを担保されている賃金の場合に,損害賠償の場合と比べても被災者が受領する総額が減るのでは,労働基準法・労災保険法が目的とする被災者保護に真っ向から反する事態を招くこととなる。
  (2) 実際,労基署が労災と認めた事案の圧倒的多数では,使用者に注意義務違反・安全配慮義務違反・「責めに帰すべき事由」が存するのが一般的であり,使用者にこれらの落ち度が全く存しない事案のほうが珍しい。仮に原判決のいう民法536条2項による賃金請求権と労災の休業補償請求権とが両立しないのであれば,労災保険は,使用者無過失という極めて限定されたケースのためのみの制度と解することになるが,このような解釈が現実の労災制度にもたらす混乱は甚大というほかない。
  (3) 労災保険法14条1項但書は「労働者が業務上の負傷又は疾病による療養のため所定労働時間のうちその一部についてのみ労働する」場合には,「当該労働に対して支払われる賃金の額を控除して得た額」の6割に相当する額を休業補償給付として支給する旨を定めており,この規定は,賃金請求権と休業補償給付請求権とが両立しうることを前提としている。一部労働が可能であってその対価としての賃金が支払われる場合と,本件のように使用者の責めに帰すべき事由によって労務が提供できないことから民法536条2項によって賃金が支払われる場合とで,休業補償給付の支給の可否について扱いを異にすべき理由はない。

 3 休業補償給付と賃金との調整
 以上のとおり,本件のようにすでに休業補償給付を現実に受けている場合に,重ねて賃金請求を行うことは可能である。
 ここで,賃金として月約47万円を,そして労災保険から月約39万円(休業補償給付金約29万円及び休業補償特別給付金約10万円の合計額)の両方を取得することが,二重に賃金を受領することになるのではとの疑問が生じ得る。
 この問題については,上記「第1」「1」「⑵」(10頁)で述べた通り,民法536条2項によって認められる賃金額と,平均賃金(そして労災保険における給付基礎日額)とが一致すべきであることを前提として,休業補償給付と損害賠償金との調整のケースと同様に,「受領済の休業補償給付金額は,賃金額から控除される」との調整方法が用いられるのが相当である。
 このように解することは,①休業補償給付金の原資が使用者負担の労災保険料等であることや,休業補償給付制度の趣旨に照らせば,労基法24条に定める賃金全額払原則に反するものではなく,②賃金の支払に先だって休業補償給付金を受領した労働者は,賃金全額の支払を使用者から受けて,受領済の休業補償給付金を労基署に返還する,という迂遠・複雑な調整ないし求償(原判決は「不当利得」との表現を用いていることから,このような調整・求償を示唆している)を不要とし,法律関係の簡明にも資するものであるし,③労災保険料を負担する使用者の合理的期待にも沿うものである。
 したがって,本件においては,賃金請求と損害賠償請求が選択的に併合されているのであるから,裁判所は,「賃金額-受領済休業補償給付金額(賃金の6割分)」と「損害賠償金額-受領済休業補償金額(賃金の6割分)」を比較して,その金額の大きい方を判決主文において認容すべきである。いずれかまたは双方がマイナスとなる場合には,ゼロと扱われるのみであり,労基署に対してマイナス分を返還すべき義務が生じるものではない。
 ここで,控除の範囲については,最高裁が労災保険法に基づく休業補償特別給付金について損害賠償金からの控除を認めていないこと(最高裁平成8年2月23日判決,判例時報1560号91頁)に鑑み,本件のような賃金と労災保険給付の調整の場合にも,賃金額から控除されるのは,受領済の休業補償給付金(平均賃金の6割)+休業補償特別給付金(平均賃金の2割)の合計額(平均賃金の8割)ではなく,休業補償給付金額(平均賃金の6割)の部分のみと解すべきである。
 しかるに,原判決は,賃金請求権と休業補償給付請求権が全く両立せず,使用者から毎月約27万円を賃金として受領し労基署に対し毎月約39万円を労基署に返還せよとの帰結を導くものであって,到底容認できない。かような原判決の判示は,最高裁判決違背と法令解釈違反に当たるものであり,上告審で破棄すべきである(以上のような法律論は,本来,労災保険料を支払っている使用者たる一審被告からの上告によって主張されるべきものとも思われるが,仮に一審被告の上告がなくとも,原審の誤った法律論によって一審原告が受領済労災保険金の全額を国に返還せざるを得なくなるという不当な事態を生じさせないため,最高裁によって正しい法律論が示されるべきである)。

第3 賃金請求権が認められなかった範囲についての損害賠償額について原判決の判示の明白な矛盾・誤り
 1 原判決は「補足」(62頁)で,「基本的請求と選択的な関係にあるものとして休業損害金の支払を求める趣旨が,基本的請求に係る賃金請求が認められなかった範囲について,休業損害金の支払請求の可否の審理を求めるものであると解して検討する」とし,概要,以下の通り判断した。
   すなわち,「基本的請求に係る賃金請求が認められなかった範囲」の損害賠償(不足分の休業損害)について,1年あたりの時間外労働賃金額と賞与額とし,この1日あたりの金額を算出したうえで,労災の休業補償給付の1日あたりの金額で「損益相殺」すると,「残額は存在しない」,としたのである。
   なお,原判決は,不足分の休業損害を過失相殺・素因減額で2割減額した金額(日額5369円)から休業補償給付(日額9711円)を「損益相殺」しているが,過失相殺・素因減額なしの不足分の休業損害(日額6711円)であっても(本件は後述するように過失相殺・素因減額をすべきでない事案である),原判決のように休業補償給付で「損益相殺」してしまうと,やはり「残額は存在しない」こととなってしまう。
 2 しかし,万一仮に,原判決のいうように,賃金が支払われると労災の休業補償給付が「不当利得」になる,というのであれば,その原判決の結論としては労災の休業補償給付は受けられないこととなるのであるから,損害賠償からその休業補償給付受給分を「損益相殺」することは,明白な矛盾である。
 3 賃金として月約27万円が支払われると,労災の休業補償給付が支払われない(受給済みの分は返還する),というのであれば,その不足している分については,一審被告が損害賠償として支払われなければならない。その不足分の金額は,1ヶ月あたり20万4148円である(原判決が認定した,1年あたりの時間外労働賃金90万9783円及び賞与154万円の合計額を12か月で除した額)。
   したがって,一審被告が一審原告に1か月あたりに支払わなければならない金額は,賃金26万9683円と損害賠償20万4148円の合計額である,47万3831円となる。




Ⅳ 損害賠償請求における過失相殺・素因減額の誤り

第4 総論
  原判決は,損害賠償請求の判断において,その損害額から過失相殺・素因減額として2割を減じたが,明らかに失当である(57~58頁)。

第5 体調不良の申告
 1 原判決の判示

  原判決は,平成12年12月及び平成13年4月の精神科受診について,「第1審原告が上記の現実に生じている体調不良を申告しなかったことは,〔①〕診断に係る病名,〔②〕処方された処方薬,〔③〕主訴に係る症状から見て,第1審被告が申告を受ければ第1審原告の業務量を軽減したものと考えられる。そうすると,第1審原告の対応は,第1審被告において,本件鬱病の発病を回避したり,発病後の増悪を防止する措置をとる機会を失わせる一因となったといわざるを得ない」などと述べ(57頁。〔①〕~〔③〕は申立人代理人による付記),過失相殺を行ったが,失当である。

 2 上記判示に対する反論
  (1) 「診断に係る病名」〔①〕

一審原告は,頭痛,肩こり,不眠等の症状から,平成12年6月に一審被告の産業医,同年7月にY医院,そして同年12月にH神経科クリニックを受診した。そして,産業医では「不眠症」,Y医院では「慢性頭痛(筋収縮性頭痛)」,H神経科クリニックでは「神経症」と,それぞれ異なった診断名が付されている(一審判決16頁及び27頁,原判決26頁)。
このように,これらの各医療機関を受診した際の一審原告の症状が同一であったにもかかわらず,産業医,Y医院,H神経科クリニックの各医療機関での診断名がそれぞれ異なっていることからすれば,H神経科クリニックでの「神経症」との「診断に係る病名」のみを殊更に取り上げて,「申告しなかったために発症を回避する機会を失わせる一因となった」などとして過失相殺の要素の一つとすることは,明らかに失当である。
  (2) 「処方された処方薬」〔②〕
平成12年12月及び平成13年4月にH神経科クリニックで処方された処方薬は「デパス」であったが(一審判決27頁),これは,同年7月にY医院で処方された処方薬と同じである(一審判決16頁,原判決57頁)。
原判決は,H神経科クリニックでの処方薬「デパス」について「申告しなかったために発症を回避する機会を失わせる一因となった」などとするが,同年6月にY医院で処方された処方薬「デパス」と同じであったことを看過している。このH神経科クリニックでの「処方された処方薬」のみを殊更に取り上げて,過失相殺の要素の一つとすることは,明らかに失当である。
  (3) 「主訴に係る症状」〔③〕
H神経科クリニックでの主訴に係る症状であった「頭痛,不眠(寝付きが悪く,朝早く目が醒める)」等(一審判決27頁)は,すでに,平成12年5月の健康診断時及び同年6月の産業医受診時に訴えており(原判決26頁),また,Y医院でも同様に慢性頭痛を訴えている。
原判決は,H神経科クリニックでの主訴に係る症状のみを殊更に取り上げて,「申告しなかったために発症を回避する機会を失わせる一因となった」として,過失相殺の要素の一つとした。かかる論理は,健康診断時や産業医受診時の症状やY医院受診時の症状と同一であったことを看過しており,明らかに失当である。

 3 原判決の矛盾
 原判決自身も,予見可能性に関する部分で,「この点,第1審被告は,第1審原告が医療機関が医療機関において診療を受けていることを産業医等に告げていなかったために,産業医において第1審原告の健康状態につき危惧の念を抱き得る状況にはなく,本件鬱病の発病についての予見可能性がなかった旨主張するが,むしろ第1審被告の産業医としては,上記の問診結果を受けて,第1審原告に対するより詳細な診察を実施するなどして,第1審原告の健康状態に問題がないことを確認すべき責務があったものというべきであり,第1審被告の主張は採用することができない」旨正当に判示しているが(48頁),この産業医・一審被告の責務を課す趣旨に照らして,平成12年12月及び平成13年4月のH神経科クリニック受診を産業医や上司に告げなかったとして「過失相殺をすべき事情である」などとし,労働者側に過失相殺を安易に認めていること(56頁~57頁)は,原判決自身矛盾していると言わざるを得ない。

 4 平成13年4月の受診及び増悪
原判決は,平成12年12月及び平成13年4月のH神経科クリニック受診を産業医や上司に申告すれば,「本件鬱病の発病を回避したり,発病後の増悪を防止」しえたかのように判示する。この判断が失当であることはこれまでに述べたが,特に,平成13年4月はすでにそれまでの長時間過重労働によりうつ病を発症したと認定されている時期であり,この時期に受診の事実を申告しても,うつ病の発症を「回避」しうるはずがない。
さらに,増悪防止の観点からしても,その後一審原告が同年9月に休業するまでの間,時間外超過者検診を定期的に受診し,5月にはS医院を受診し,6月からはH神経科クリニックへの定期的な通院を開始したのであるから,それらの事実経過を看過し,この4月の事実のみを殊更に取り上げて,通院の事実を告げなかったことを過失相殺の要素の一つとすることは,明らかに失当である。また,原判決も,49頁~50頁で,平成13年5月以降も,一審原告の体調不良による12日間連続休業,同年6月の時間外超過者検診や定期健康診断など,一審原告の症状とその変化を一審被告が具体的に把握することができていたにもかかわらず,一審被告は一審原告の業務負担を軽減する措置を何らとらなかったと,産業医や被告の過失を正当に判示しており,それが発症後の増悪に関しても,平成13年4月のH神経科クリニック受診の事実を告げなかったことを過失相殺すべき事情であるとした部分(56頁~57頁)と矛盾している。

 5 一審原告が一審被告に対して症状等を隠していないこと
原判決は,「この点,確かに,労働者として,使用者による自らに対する考課に影響を与えかねない申告であることは否めないが,損害の公平な分担という見地から見れば,過失相殺をすべき事情であるといわざるを得ない」などと述べる(57頁)。
しかし,そもそも「損害の公平な分担という見地」から過失相殺を行うこと自体が失当である。この点については,原判決が「損害の公平な負担」の見地から見舞金請求権と慰謝料請求権とを損益相殺したのと同じ誤りをおかしたものであり,後述する(38頁)。
そして,一審原告が「神経系統に関する症状はセンシティブな事柄である上,申告により不利益な取り扱いがされるおそれもあり,社会的にも申告すべきものとの認識はない」と主張したのは(原判決14頁参照),あくまで一般論としてであり,一審原告は「平成12年6月ころから産業医に対し,体調の不良を訴えており,平成13年5月には,産業医や上司に対し,積極的に体調の不調や精神科医への通院を伝えているのであり,自己の神経症等の状況を隠したことはない」と主張しているのであって(原判決同頁参照),原判決は一審原告の主張を正解しておらず,失当である。

 6 まとめ
したがって,一審原告が平成12年12月及び平成13年4月のH神経科クリニックを受診していたことを一審被告に申告しなかったことが,過失相殺事由と評価されるべきものでないことは,明らかである。

第6 個体側の脆弱性のないこと
 1 原判決の判示

  原判決は,「第1審原告は,〔①〕入社後,慢性的にひどい生理痛を抱えていたことが窺われ,〔②〕平成12年6月ないし7月には,慢性頭痛(筋収縮性頭痛)との診断名で,抑鬱,睡眠障害にも適応のあるデパス錠,神経症における抑鬱に適応のあるセルシン錠の処方を受けていること,〔③〕同年12月には,第1審原告の頭痛,不眠(寝付きが悪く,朝早く目が醒める。),仕事の途中で車酔いしたような感じが出たりするとの主訴に基づき,神経症と診断され,デパス錠の処方を受けていたことに加え,〔④〕精神医学上,一般的には6か月から1年程度の治療により治癒する例が多く,精神疾患が寛解するまでの期間に個人差があることを考慮しても,業務が精神疾患の原因であり,その業務を離れて治療を続けながら9年を超えて,なお寛解に至らないという事態を併せ考慮すると,本件鬱病の発病及びその後の寛解に至らない状態については,本件鬱病の発病につき業務起因性の認定を妨げるほどに重いものではないが,業務外にも発病を促進した因子又は寛解を妨げる因子が存在するという個体側の脆弱性が存在したものと推認せざるを得ない」などと述べるが(57頁。〔①〕~〔④〕は申立人代理人による付記),失当である。

 2 反論
  (1) 生理痛〔①〕

    原判決は,一審原告が慢性的に生理痛を抱えていることを敢えて摘示し,「個体側の脆弱性」に関連するかのような判示を行っているが,全くもって失当である。
生理痛自体は多くの女性が通常有しており,一般的に通院治療が必要な疾患ではない。まして,生理痛は受診するとしても婦人科であって精神科ではなく,生理痛自体は精神疾患であるうつ病とは無関係である。生理痛を有することがうつ病発症のリスクを高めるなどとする医学的知見もない。実際,本件において,一審原告の生理痛がうつ病発症前後で悪化していた事実も存しない。
また,労働基準法68条が生理休暇を設けている制度趣旨(しかも罰則が付されている)に鑑みても,生理痛をもって素因減額の事由とすることは失当である。
  (2) 平成12年6月ないし7月の症状〔②〕
 不眠や頭痛などは,同種労働者の多様さとして通常想定される範囲の労働者にも多く見られるものである(公知の事実である)。
 まして,本件における一審原告の平成12年6月ないし7月の症状は,それまでの業務が過重であったことに起因するものと考えるのが,経験則に適う事実認定である。
 実際,頭痛・不眠の症状は,平成13年4月のうつ病発症と,その後同年9月に休職に至るまでの増悪の過程で,主訴として悪化していったのであり,この症状が業務に起因したことは明らかなのであるから,平成12年6月の頭痛・不眠も,業務に起因したものであることが容易に推認されるところである。この平成12年6月ないし7月の症状を理由に素因減額を行うには,その症状が業務に起因するものではないことが明らかにされていることが必要である。しかし,原判決はかような検討を一切行わずに安易に素因減額の理由としており,失当である。
  (3) 平成12年12月のH神経科クリニック受診〔③〕
   ア 上記「第5」で述べた通り,H神経科クリニックでの主訴,症状は,平成12年6月の産業医受診時,同年7月のY医院受診時と同じであり,また,処方薬もY医院受診時と同じなのであるから,原判決がこの同年12月のH神経科クリニック受診時の症状,診断名,処方薬のみを殊更に取り上げて,平成12年6月・7月の診断や処方薬との関係を看過しているのは失当である。
   イ 本件の行政訴訟判決も,下記の通り正当に判示し,①平成12年12月以降の神経症の診断が後の精神障害の前駆症状と評価しうるとし,さらに,②一審原告に業務以外に精神障害を発症させる要因がないことを明言している(甲209:22頁)。
 「 個体側要因として,以前から疲れやすい等の自覚症状があり,不眠症,頭痛,神経症等の診断を受けているが,これをもって原告の脆弱性等があるとまで評価するのは相当でない。しかも,このうち,神経症の診断は平成12年12月以降であり,M2ライン立ち上げプロジェクト発足後のことであり,後の精神障害の前駆症状とも評価し得るものである。したがって,原告の業務以外に精神障害を発症させるような要因があったとは認められない。」
  (4) 療養期間について〔④〕
    原判決は,「精神医学上,一般的には6か月から1年程度の治療により治癒する例が多(い)」などと判示するが,一般論としてこのような期間の断定はできない(精神疾患が寛解するまでの期間に個人差があることは原判決自身が認めるところである)。
それにもかかわらず,原判決は短絡的に一審原告の療養期間を脆弱性と結びつける判示を行っており,失当である。

第7 最高裁判例違反
 1 最高裁平成12年3月24日判決

   最高裁平成12年3月24日判決(民集54巻3号1155頁)は,「企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ,ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り,その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても,そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも,使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は,各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して,その配置先,遂行すべき業務の内容等を定めるのであり,その際に,各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって,労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には,裁判所は,業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり,その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を,心因的要因としてしんしゃくすることはできないというべきである」と判示し,損害賠償額を3割を減額した原審判決を破棄した。
かかる判決は,労働者の過労による精神疾患についての損害賠償訴訟において,安易な素因減額や過失相殺を排斥したのであり,かかる最高裁判決の趣旨に則り,本件においても素因減額や過失相殺を行うべきでない。

 2 原判決の判示とその誤り
  (1) この点,原判決は,上記最高裁判決について触れ,「第1審原告の性格を取り上げるものではないし,頭痛や生理痛自体を取り上げるものでもないのであって,第1審原告の主張は理由がない」などと判示したが,失当である。
 上記最高裁判決は,性格のみをしんしゃくしてはならないと限定したものではない。上記判決の趣旨は,性格に限らず,その労働者が「通常想定される範囲を外れたものでない限り」,何らかの要素が過重労働に起因して損害の発生・拡大に寄与していたとしても,そのような事態は使用者として予想すべきものであって,安易に過失相殺・素因減額をすべきではない,という点にある。
 そして,上述したように,本件一審原告の不眠や頭痛,生理痛などは,同種労働者の多様さとして通常想定される範囲の労働者にも多く見られるものであって使用者として予想すべきものである。
 本件において,仮に万一,原判決のいうように一審原告の不眠や頭痛,生理痛などが問題であるとするならば(ただし一審原告としてそれを認める趣旨では断じてない),それら不眠や頭痛,生理痛などを,一審被告は実際に把握していたのであるから,そのような一審原告に適した「配置先,遂行すべき業務の内容等を定める」べき安全配慮義務を負うと解すべきところである。
 最高裁判決の趣旨からすれば,本件が過失相殺を行うべき事案でないことは明らかである。
  (2) 原判決自身が,「第1審原告が本件鬱病の発病時に就いていた職種において,通常業務を支障なく遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する平均的労働者の範囲内から逸脱するような脆弱性があったと認めることはできない。第1審原告は,上記の平均的な労働者の範囲内にあったものと優に認められる」と認定しているのであるから(46頁),上記最高裁判決に則れば,本件はまさしく,過失相殺を行うべきではない事案である。
  (3) また,原判決は「頭痛や生理痛自体を取り上げるものでもない」と述べるが,それであればなおのこと,何ら具体的に立証もなされていない「発病を促進した因子又は寛解を妨げる因子が存在するという個体側の脆弱性」を認定し,安易に減額することこそ,上記最高裁判決が否定したところにほかならない。

Ⅴ その他の論点

第8 損害賠償構成における損益相殺の誤り
 1 未支給分の労災保険給付について損益相殺を行ったことが最高裁判例に違反すること

 原判決は,損害賠償の判断の中で,いまだ労災の休業補償給付していない期間についても損益相殺しているが(原判決60頁),明らかに最高裁判決に違反している。
 最高裁昭和52年10月25日判決(民集31巻6号836頁)は,労災の年金給付について下記のように判示し,政府が将来にわたり継続して保険金を給付することが確定していても,いまだ現実の給付がない以上,将来の給付額を受給権者の使用者に対する損害賠償債権額から控除することを要しないとした。
 「 政府が保険給付をしたことによって,受給権者の使用者に対する損害賠償請求権が失われるのは,右保険給付が損害の填補の性質をも有する以上,政府が現実に保険金を給付して損害を填補したときに限られ,いまだ現実の給付がない以上,たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても,受給権者は使用者に対し損害賠償の請求をするにあたり,このような将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないと解するのが,相当である」
 この理は,年金給付であっても,休業補償給付であっても,「損害の填補の性質を有する」ことに変わりないのであって,将来の給付額を控除することは失当である。

 2 東芝健康保険組合の傷病手当金等について損益相殺を行ったことの誤り
  (1) 一審原告は,労災認定がなされ休業補償給付が支給されてから,東芝健康保険組合から給付されていた傷病手当金等の一定額を,同組合に対して返還した。しかしながら,労災については平成13年9月分から平成14年9月7日分までの分が支給されていないことから,同期間に相当する傷病手当金等の367万8848円を,現時点で同組合に対して返還していない。
  (2) 原判決は,この367万8848円について,①傷病手当金等の制度設計,②一審原告が当初この傷病手当金等を控除した金額をもって損害額として主張していたこと,③休業補償給付等の支給により同組合に返還すべきこととなる関係,の3点を挙げて,「傷病手当金等は労災保険法上の休業補償給付に対応しているものと推認される」として,損益相殺を行った(61頁)。
  (3) しかし,「傷病手当金等は労災保険法上の休業補償給付に対応している」ことは,労災が支給されていない期間分についてまでも傷病手当金等を健康保険組合に返還すべきことの理由にはならない。
一審原告が,本件訴え提起当初,傷病手当金等を控除した金額をもって損害額としていたのは,その当時に労災認定がなされておらず,給付を受けていなかったからである。その後,労災認定を受けて,訴えを拡張した経過が存する。
 一審原告は,この367万8848円について,東芝健康保険組合からなおも返還請求を受けている立場にある。一審原告は,これに対応する期間分の支払いを一審被告より受領した後に返還する旨を,同組合に対して明示している。すなわち,同金員について,一審原告は最終的な利得を得ているわけではないのである。それにもかかわらず損益相殺をすることは,損益相殺の制度趣旨(二重に受領することの防止)自体に反するものであり,失当である。

第9 慰謝料・見舞金
 1 慰謝料の金額
  (1) 原判決の判示

   ア 慰謝料について,一審判決は200万円と認定した。これに対し,原判決は400万円と増額したうえで,過失相殺・素因減額で2割を減じ,320万円とした(原判決59頁)。
   イ 原判決は,慰謝料額を上記の額とした理由について,9年6ヶ月の療養を続けていること,一審被告が一審原告に従事させた業務内容や発病後の一審被告の対応が,安全配慮を欠く過重な業務・不当な対応であったこと,等を認めながら,他方で,〔①〕本件解雇が無効であることにより賃金ないし賃金相当の損害金が支払われること,一審被告の平成13年8月下旬以降の対応に安全配慮義務違反のないこと,〔②〕一審被告が打切補償を支払うことによる解雇(労基法81条,19条1項)をすることもなく,復職後の職場に考慮を払うなど相当の努力をしながら,一審原告の復職を待つ対応をとり続けるなどしていたこと,などを挙げているが(59頁),失当である。
  (2) 反論
  ア 賃金ないし賃金相当損害金の支払いについて〔①〕
  賃金ないし賃金相当損害金が支払われるのは,一審被告のなした解雇が無効である以上当然のことであり,一審原告の被った多大な精神的苦痛を慰藉するものではない。解雇無効が争われる他の事案(整理解雇や懲戒解雇等)と全く異なり,本件では,一審被告の安全配慮義務・注意義務違反により,一審原告の健康が害され,精神障害者手帳を取得し,現在もなお不自由な生活を強いられているのである。一審原告の,「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条1項)を侵害され,長期間にわたって現在もなお継続している一審原告の精神的苦痛に対する慰謝料は,賃金ないし賃金相当損害金によって填補され得るものではない。
  イ 打切補償による解雇について〔②〕
  一審被告はそもそも一審原告の精神疾患の業務起因性を否定し続け,行政訴訟の判決が確定して労基署より労災認定がなされた後も本訴訟で業務起因性を否定し,「休職期間満了による解雇」を維持し続けたのであるから,打切補償を支払っての解雇を行うはずもない。それにもかかわらず,打切補償を支払っての解雇を行っていないことを,あたかも一審被告の一審原告に対する配慮であるかのように判示する原判決は,全く失当というほかない。
  また,一審被告は労災認定後も業務起因性を認めず,さらに,仮に解雇無効の判決が出たとしても,労働の能力及び意思を失っている場合には賃金請求ができないなどと主張していたのである。一審被告が「復職後の職場に考慮を払うなど相当の努力をしながら,一審原告の復職を待つ対応を取り続けた」などといった態度ではなかったのであり,かかる認定も,事実と全く乖離している。
  ウ したがって,原判決が慰謝料を低額にする理由として挙げた根拠は全く失当であり,慰謝料額は400万円よりも高額であってしかるべきである。
  (3) 認められるべき慰謝料額
 下記の諸事実に鑑みれば,本件により一審原告が受けた精神的苦痛の慰謝料としては,金1500万円を下るものではない。
 ① 一審被告は,一審原告に対して,過重労働に加え,「パワハラ」(パワーハラスメント)とも言うべき嫌がらせを行ったのであり,一審原告のうつ病の発症・増悪に関する,かかる一審被告の安全配慮義務違反・注意義務違反の悪質さが十分に反映されていない。
 ② 一審被告のなした解雇が,労基法に違反した違法で悪質なものであるにもかかわらず,解雇に至る経過が十分に考慮されていない。
 ③ 本件控訴からもすでに約2年が経過し,一審原告の精神疾患による通院期間が平成13年4月から現在まで実に9年以上にも及び,今もって睡眠障害等の深刻な精神疾患の諸症状に悩まされていること,さらにはその後の一審被告の訴訟態度等が,考慮されていない。
④ 上述したとおり,過失相殺・素因減額を行うべきでないのに,これを行っている。

 2 見舞金請求権について損益相殺を行ったことの誤り
  (1) 原判決の判示

  原判決は,慰謝料として320万円を認容し,会社規定に基づく見舞金請求権560万円について,「災害補償規程には,休業補償金と休業補償給付との間の調整規程が設けられているが,見舞金規程には慰謝料との調整規程が置かれていないこと,見舞金規程における被災従業員の権利を前提としない『見舞金を贈与』するとの規定文言を捉えて形式的に解釈すると,損益相殺を否定すべきであるようにも見える」としながら,「しかし,その実質において,業務上災害が生じたときに,被災労働者に対し,〔①〕迅速かつ定型的な慰謝料支払を行うことができるように社内規程を整備したものであって,〔②〕慰謝料的な性格を持つものというべきである」「そして,〔③〕同規程において定められた見舞金の金額が必ずしも低額とは言えないことを併せ考えると,〔④〕損害の公平な負担の見地から,相互補填を予定するものとして,損益相殺の処理を認めるのが相当である」とし,「320万円の範囲内で重複填補となることから,第1審原告は,その差額である240万円の限度で見舞金の支払を請求することができるものである」と判示するが(64頁。〔①〕~〔④〕は申立人代理人による付記),失当である。
  (2) 反論
  ア 見舞金と慰謝料とは性質が異なること〔②〕
 原判決は,この見舞金請求権が「慰謝料的な性格を持つものというべきである」と判示する。
  しかしながら,そもそも,この見舞金請求権は会社規定,すなわち明文化された規定に基づいて支払われるものであり,一審被告が無過失であっても支払われるものである。
  他方で,慰謝料は,被害者の精神的苦痛を慰謝しその精神的損害を補填するものであり,不法行為ないし労働契約に付随する安全配慮義務違反に基づくものであって,一審被告の過失がなければ認められない性質の金員である。
  両者はその性質を全く異にしているのであって,「見舞金が慰謝料的な性格を持つもの」とは,理論上も解し得ない。見舞金について規定上「贈与」との文言が用いられているうえに,慰謝料との調整規定が存しておらず,一審被告の災害補償規程(甲236)には休業補償金と休業補償給付との間の調整規定が設けられているのに対して,見舞金にそのような調整規定がないのも,性質が異なることから当然の帰結である。
  この点,岡山地方裁判所平成9年11月25日判決(交通事故民事裁判例集30巻6号1672頁)は,会社の業務災害特別支給規定に基づき事故の被害者に支給した見舞金(1万円)及び傷害見舞金(55万円)の損益相殺を否定している。
  イ 「迅速」な支払いのための制度ではないこと〔①〕
  原判決は,この見舞金請求権が,「その実質において,業務上災害が生じたときに,被災労働者に対し,迅速かつ定型的な慰謝料支払を行うことができるように社内規程を整備したもの」などと述べる。
  しかし,かかる認定が誤りであることは,本件での一審被告の対応から自明である。一審被告は,一審原告の精神障害が労基署によって労災と認められて以降も,同規程の定める社員の負傷又は疾病が「業務上の負傷又は疾病」であるか否かは一審被告が第一次的な判断権を有するなどと主張し,一審原告のうつ病と一審被告との業務との間に相当因果関係が認められない,などと主張して,現時点に至っても見舞金を支払っていない。「迅速」な支払は,実際になされていないのである。
  ウ 見舞金の金額が「低額とはいえない」とする点〔③〕
  源判決は,見舞金の金額が「低額とはいえない」という点も,損益相殺の根拠の一つに挙げている。
  しかしながら,上述したように,無過失でも規定によって支払われる見舞金と,加害者に過失が存する場合に被害者の精神的苦痛を慰謝するために支払われる慰謝料とでは,そもそも性質が全く異なるのであるから,見舞金の金額の高低如何が慰謝料的性質の有無と関連するかのように判示する原判決は失当である。
  エ 「損害の公平な負担の見地」〔④〕
  判決は,「損害の公平な負担の見地」から,損益相殺の処理を認めるのが相当と述べる。
  しかし,私法上の私的自治の原則の理念が,対等で自由な個人間で法律関係を規律することをその前提としているのに対し,労働契約においては,使用者と被用者とは根本的・必然的に非対等な関係にあることから,私的自治の原則を修正し,その不平等を是正するために,労働基準法・労働契約法等によって被用者の保護が図られているところである。したがって,本件のように,使用者の被用者に対する安全配慮義務違反(上述の最高裁平成12年3月24日判決,労働契約法5条)によって被用者に損害の生じている場合には,あたかも対等な個人間における「損害の公平な負担」と同様に安易に損益相殺を行って結果的に被用者に損害の「負担」を負わせるべきではない。これは,損益相殺のみならず上述した過失相殺においても同様である。
  また,異なる企業規模間での「損害の公平な負担」を検討した場合,労災事故が生じて企業に損害賠償責任が生じるときに,同額の損害賠償額でも企業側にとっての「負担」はその企業規模によって異なる。企業規模が小さいほど,同じ損害額でも「負担」は大きくなるのである。本件の一審被告のように,資本力のある大企業が,独自に無過失の場合でも支払う見舞金制度を設けている場合には,安全配慮義務違反・注意義務違反に基づく業務上災害の場合に,見舞金に重ねて慰謝料を支払うことこそ,「損害の公平な負担」の理念に適うというべきであって,「損害の公平な負担」を理由に使用者と被用者との間で損益相殺を認める原判決は失当である。

第10 将来請求を却下したことの誤り
 1 原判決は,「第1審原告の主張する第1審被告の応訴態度を考慮しても,本件判決の確定後になお賃金に係る紛争が収束することなく続くものとは認められないのであり,あらかじめ将来請求をしておく必要性を肯定することはできない」として,賃金の本判決確定後に関する将来請求を却下し(53頁),損害賠償の将来請求についても同様に却下した(56頁)。
 2 しかしながら,一審原告の精神疾患は,直ちに治癒が見込まれる状態にはなく,将来も賃金・休業損害が継続して発生する蓋然性が高く,また,一審被告はその賃金支払義務や損害賠償義務をこれまで争い,また,現時点においてもなお,賃金等の弁済の提供はない。
  したがって,判決確定後の期間分についても,一審原告には,将来給付を求める訴えの利益が存するのであり,原判決には,「あらかじめその請求をする必要がある」場合に将来の給付の訴えを認める民事訴訟法135条の解釈適用を誤った違法がある。
                                             以上







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